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ディープなサッカーマニアの話
忘れられない初めの一歩・1993.5.15


毎週末は朝からトリコロールに身を包む日々。

信じられないような話だが当時のチケット争奪戦は凄まじかった。年間チケットの発売枠も少なかったため、みな協力して電話をかけまくった。だからチケットを持っているだけで羨ましがられたし、持っている者同士の特権階級意識も少なからずあったと思う。女子高生は、とにかく選手に近づきたかった。選手に近づけなければ、選手やフィールドと近い場所の男性に近づきたかった。そのせいで「サポーターのサポータ」なるものまで発生した。「追っかけ」がついているサポーターまで他のクラブにはいたのだ

      
いつも試合後は記念写真を撮っていた。一年に何回も来れるようなチケットの取り方ができたのは、極々一部のサポーターだけだったので、やっとの思いでスタジアムへやってきた人にとっては記念撮影は重要だったからだ。だから、毎試合ゴール裏に陣取ったコアサポーターたちは、快く記念写真に収まった。やっと始まったプロリーグの普及活動のようなものだ。そして、みなでゴール裏席を隅から隅まで掃除して帰った。左の写真は高島屋前。記念すべきホーム初戦を三ツ沢で闘い、Vゴール勝ちした後のものだ。一番高い場所は銅像の上。中央の写真はサポータークラブ・ナスティボーイズと一緒に中央の女性との記念撮影。彼らは「水沼教」と呼ばれていた。右の写真で注目すべきは、日本リーグ時代からのサポーターの重鎮の一人(後藤さんや久保田さんらとともに狂会の中核メンバー)でマリーシア会長の上野さんが中央にユニフォーム姿で写っていること。上野さんは年間130試合観戦するといわれていた。2002年ワールドカップでは19試合を観戦している。

      
当時、日産時代からのサポーターも多く、通なファンが多いといわれていたマリノスサポーターだが、やはりギャルサポーターは多かった。そして、その動員力は2002年も衰えなかった。ある新聞によると2002年のマリノスの観客の49%は10代20代の女性。つまり、ギャルサポが多いこともも10年続けば、立派な特徴であるし、もう、これは地域特性であって文化といっても良い。だから一緒に応援する大切な仲間なのだ。右の写真は、当時、試合後のたまり場になっていた白札屋。座敷はいつも空けておいてもらった。恐ろしいことに、当時は、この格好のままで家を出て、スタジアムに入り、酒を飲み、家へ帰った。95年のステージ優勝のときは馬鹿騒ぎの結果、この座敷がビール浸しになり、翌日の営業は不可能に追い込まれたといわれる。

      
鬼門・カシマスタジアムへの道。93年のカシマスタジアムといえば「スパイク事件」で敗退したファーストステージの天王山決戦が有名。その時は特急とバスの2ルートで乗り込んだ(やはりTBSブロードキャスターが追跡取材した)。この写真は11月のセカンドステージ。このときから旅行会社の「鹿島アントラーズ応援バスツアー」を買い占めて貸し切り状態で乗り込んだ。鹿島のチケット獲得は極めて困難だったためだ。