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2階の目線 2階の目線2012

プライドとは何か? 0-1 柏(国立)
2012年12月29日 石井和裕

ネルシーニョの策に敗れたという人がいる。でも、あの策を予想できなかった人の方が、スタジアムを訪れた人の中では少数派だったのではないだろうか。中盤を省略して縦に蹴り込んで、ディフェンスのブロックを無力化する。中盤では相手を背負わない。ダイレクトパスでボールを動かす。単純で判りやすい策だ。

樋口監督が対策を講じなかったのか?という疑問には、対策を講じていたと答えたい。ユウジーニョがワントップを張ったが、柏ボールになれば中村大先生はユウジーニョの横に並んで高いトップの位置。2枚で柏の最終ラインからのロングボールの起点を押さえ込もうと考えていたはずだ。だが、ことは簡単に運べない。試合の主導権は序盤に決してしまった。左サイドの狩野の守備が機能せず、ドゥトラはいつもよりも深い位置をとる。そして、体調が万全ではないドゥトラはロングボールに競り合えない。一対一では、いつもよりも敵との距離を空けてドリブルで置いてきぼりにされることを防ごうとする。だから、簡単にクロスを何本も入れられてしまう。富澤がケアに動く。富澤との距離を大切にしている中町のポジションも深くなる。逆にいつもよりも高い位置にいる中村大先生と中町の距離が開く。攻守に悪循環が続き試合は思うように進まない。

樋口監督は対策を講じて試合に臨んだ。しかし、選手のセレクトを誤ったのだろう。まず、狩野は機能しなかった。名古屋戦と同様に運動量が少なく、気の抜けたシュートは枠を大きく外れていく。いってみれば、いつも通りの狩野だった。そしてドゥトラは120分間を闘うことが難しいのは明白だった。延長戦があるノックアウト方式において120分間を闘えない選手を先発メンバーに加えるということは90分間で勝たなければならないことを意味する。しかし、逆に序盤で主導権を失ってしまったのだから、これは、明らかにセレクトのミスだ。リードされてしまえば、選手起用に大きく影響する。3人目の攻撃的な選手を投入したくても、ギリギリまではドゥトラの交代選手をベンチに残しておかなければならないのだ。しかも右サイドの小林が入れ込み過ぎでカードをもらい、いつ退場するか判らない展開。ますます難しい選択を迫られる。

劣勢になると選手は劣勢の責任を審判になすり付ける。去年と同じだ。何度も倒れては主審の顔をうかがう。状況を理解しないままにスタンドはジャッジにフラストレーションを溜める。これも悪循環に陥る。冷静に試合を見つめれば、責められるジャッジなど皆無だというのに。

足が止まり試合を眺める選手が増え失点は時間の問題。
「さぼるな!」
「走れ!!」
「動いてくれ!!」
願いは届かない。視点シーンは多少は不運な面もあったが、そこに至までには、まったく消極的な足を止める選手たちの姿は無関係とはいえまい。 

やっと攻勢に出るのは80分を過ぎてから。柏の足が止まってきてからだ。もう、ここでは、あまり多くを書くことを止めよう。終わったことを讃えるのは時間の無駄だ。簡単にいえば、去年のサッカーに戻ってしまった。最も走っているのは中村大先生。
「俊輔とマルキしか勝負していないぞ!」
その言葉が示す通りだ。

試合後にわずかばかりのブーイングと、やや小さな拍手が選手を迎える。そして、狩野へのコール。むなしさと悔しさを感じ得る。今年もタイトルを獲得できなかった。最多優勝記録を保持する天皇杯を今年も奪還することが出来なかった。だが、その想いをスタンド全体が共有できていない現実が、ここにはある。タイトルを切望する声こそが少数派だったのだ。「狩野の花道」「アジアへの道」「現実に国立で過ごしたい」それぞれの想いはバラバラだった。一つになれなかったむなしさと悔しさ。スタンドだけではない。選手たちのコメントも、タイトルを切望を強調するのは中村大先生くらいだっただろう。

私たちの心は荒れた。まるで駄駄を捏ねる小さな子供のように叫ぶ者、これまで隠していた本心を言葉を吐き捨てる者、悲しみ、嘆き、そして沈黙。スタンドから簡単に動くことが出来ない重み。悪くないシーズンだったと思う。シーズン後半に向けて上昇曲線を描いたなんて、しばらくは記憶にない。ただ、終わり方はいつもの通り。いつもの通りの完敗だ。いや惨敗でも良い内容だ。
「今年こそ優勝できると思ったのに。」
「どうみてもうちが本命だったんだぜ。」
「なんで選手はやらないんだよ。優勝したくないのか。」
「決勝戦の出場停止が、そんなに怖かったのか。」
「柏が蹴ってくるなんて判ってただろうに。」
「なんで逃げのパスばっかりなんだよ。」
「倒れ過ぎだよ。あんなに倒れていたら闘えない。」
「ビビってるんだから勝負にならない。」

1993年に天皇杯無敵の10年間を終え、今大会で20年間。無敵時代の倍の時間を経過した。既に、現実に優勝することの素晴らしさを知る選手はいない。元日に優勝することが義務だったことを知ってる者は僅かなコーチングスタッフのみだ。とても語り継がれているとは言えない。だから、それを知る者は言う。言い続ける。うるさい、迷惑だと言われても言い続ける。多くの人は安っぽく、または言い訳じみて「プライド」という言葉を使う。言葉が安すぎる。「プライド」ってそんなモノなのか?私たちにとって「プライド」と言えるものは「私たちは元日に優勝することが当たり前という生活を続けてきた。クラブを語るにおいて、それが基準である。」ということだ。それ以下の根拠なき安い「プライド」もどきなどいらない。

愛は空回りするものだ。







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題字:書道家うどよしさんに書いていただきました。