私の85代表 ueda-jun

私がサッカーをやりはじめたのと、日産そして木村和司ファン(当時はまだ サポーターとは呼べず)になったのが83年末。四国の田舎の中学生が 代表を初めて見たのが85年1月神戸ユニバーでのゼロックススーパー サッカー対ボルドー戦だった。まだ地下鉄も開通してない頃で電車をいくつも 乗り継いでいった。3−0の快勝で、その勢いをW杯予選へ。

1次予選シンガポール、北朝鮮を撃破。アジアの勢力図が見えていないので 北朝鮮に勝ったのも、奇跡とは思いも寄らなかった。とにかく木村和司を 見たかったのと、GK松井が腹にスパイクを受けて相手に怒っていたのを 覚えている。2次予選香港のホームは見に行った。地下鉄も開通して だいぶアクセスがよくなったのを覚えている。この辺りから代表の攻撃は 木村和司から始まるのだと思うようになった。また宮内、西村の存在が ディフェンシブハーフというものを知るきっかけになったのは私だけではないと思 う。 最終予選。戸塚、与那城を代表へ。の意見は代表選考でマスコミが取り上げる 初めてのケースではなかっただろうか。そして伝説のFKはハーフタイムに 入っても震えが止まらないぐらい、その凄さを見せ付けられた。

あれから12年当時のスターティングメンバーで行くかと思ったが、まあ仕方ない 。 戦術も多様化してきた時代にやはりこの代表は木村和司を経由して攻撃が始まる。 水沼とのコンビはアイコンタクトなんてどこ吹く風で、攻め込む。凄いチームだ。 そして、プーマは見事当時のモデルを再現した。(ロングパンツは時代の波だが) 何度か日本でやったマスターズのように慣例化できないものか。 当時を知らない子供たちに、アマチュアなりの代表の誇りを見て欲しいと思う。

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私の85代表 西永 誠

85年の時は、午後3時キックオフなのに、正午にはもう ピッチ近くの席は埋め尽くされ、段々高い所に上り、結局 聖火台の横で観戦していました。 今の多彩な応援歌のない当時、「ニッポン・チャチャチャ」 だけでは物足りなくなったのか、試合途中にもかかわらず 何故か「君が代」の大合唱が始まったのを覚えています。 カズシさんのFKが決まった瞬間、隣席の知らない高校生 たちと抱き合い、1点差があるのに、「これで勝てるぞ!」 と絶叫したり‥‥

87年のあの日は、雨でした。2年前の教訓から、指定席を 取りました。前後半の共に37分に失点しました。ちらっと 電光掲示板の時計を見て、「前半と同じ時間だ」と、嫌な 予感が直ぐに的中。悔しかったなあ。スーパーセーブの 連発のあと、単純なシュートでやられる森下さんの相変わ らずぶりは、後年J2年目に見ることになり、複雑な懐かしさ を感じました。

昨年は、代表はW杯出場を決めましたが、クラブのレベルでは 経営不振など、明るいニュースがあまり多くないようです。 そんな時こそ、なるべくスタジアムに足を運んで、直接声援を 送ろうと思っています。