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Jリーグダメ外国人列伝

君は覚えているか?あの思い出深い外国人選手を。
期待を裏切り記憶に残る、素晴らしきプレーヤー達。

1992年のプロ化以来、いや、日本リーグの時代以来外国人選手は日本サッカー発展に寄与してきた。しかし、例外はいる。数々の、思い出すだけでも恥ずかしいダメ外国人の歴史。その記憶をここに留めよう。


Jリーグダメ外国人列伝は移転しました。
最新のダメ外国人情報はコチラをご覧ください。



モラレス&フェレイラ(浦和レッズ)
ダメ外国人の代表格はこの二人。 1993年Jリーグファーストステージの 途中でお払い箱になった。モラレスは元エクアドルの最優秀外国人選手。フェレイラは元代表でゴールも決めている。しかし、両選手とも動きが重くキレがない。浦和の大低迷時代の基盤を築いた。

マイヤー(ヴェルディ川崎)
あのJリーグ初ゴールを1993年5月15日に国立競技場で決めた記念すべきオランダ人。しかし、チーム戦術になじめずラモス一派に迫害も受けシーズン途中で自ら帰国してしまった。

リー・バクスター(サンフレッチェ広島)
1994年ファーストステージを優勝に導いた バクスター監督の息子。ゴールキーパーとして登録されているが 一度もトップで出場することはなかった。

ミューレル(柏レイソル)
1995年柏レイソル昇格にあわせて招聘された大物中の大物。カレッカとの1990年イタリアワールドカップのセレソン・ツートップを組むはずだったが数試合出場しただけでホームシックで帰国した。以前、トリノでプレーしたときも 同様に早々に帰国した前科を持つ。一説には、柏の厳しい分別ゴミ回収に奥さんが耐えられなかったのが原因とも噂された。

フェゲロア(横浜マリノス)
1996年に提携しているリーベルプレートから期待の若手として入団。出場は磐田での89分からのたった一度のみ。しかも、同点での出場だったが直後に失点し90分で試合が終わってしまった。それ以後、姿を見ることはなかった。

金大儀(ジェフ市原)
なぜか韓一銀行から入団した元韓国代表。アマチュアチームからだったので移籍金が発生せずお買い得と思われたがその真相はフロントがひと間違えで金という名字で入団させてしまったらしい、という噂も。ほとんど85分くらいからの出場だった。

モーゼル(鹿島アントラーズ)
ジーコの肝煎りでディフェンス補強のために獲得された元ブラジル代表。ベンフィカリスボンからの獲得でもあり期待されたが衰えが激しくぶっちぎられるは股抜きされるはと散々。早々に解雇された。

アルシンド(鹿島アントラーズ)
1993年当初は師匠ジーコの指導の最も優秀な外国人選手だったがヴェルディに高額で移籍しさらにはコンサドーレ札幌に移籍。わがままをだれも止められなくなった。最後は、審判に試合中に「バカ」を10連発近くはき捨て退場になって札幌からも捨てられた。

マルコーン(清水エスパルス)
読売と優勝争いをしていた清水の秘密兵器。マルコ・アントニオが戦線離脱した際に緊急補充した。「マルコの代わりにマルコーン」とスポーツ紙に書かれた。しかし、満を持して初出場したヴェルディ戦はボールに乗って転ぶなど、あっさり粉砕された。

マルセロ(清水エスパルス)
グアラニFCから獲得して、95年ニコス〜96年途中まで在籍。ブラジルのU-20代表の主将を務めていた選手だが、当時のお家の事情で、本来センターバックにもかかわらず、宮本監督が左サイドバックとして起用。わずか5試合で『J史上最も足の遅いサイドバック』の称号を勝ち得た。なぜか契約更改されたものの、センターバックのポジションをルーキー斎藤に奪われ、 ひっそりと帰国した。

ハッダ(横浜マリノス)
たった4日で帰った。契約をクラブが破棄したのか?本契約がまだだったのか?とにかく練習試合に1試合でて1得点のみ。ワールドカップ2得点の大物は評価以前に熊本キャンプだけで帰った。横浜に来てないんだよねぇ。

マルドナルド =ラウル(駄)(横浜マリノス)
相次ぐトラップミス。シュートはぼてぼて、フィジカルも弱い。前所属チームで何をやっていたのか想像を絶する爆笑と絶句を巻き起こした駄目外国人の決定版。ニックネームは「ラウル(駄)」または「オブジェ」または「デコイ」。

チェローナ(横浜フリューゲルス)
元エルサルバドル代表のディフェンダー。ワールドカップでマラドーナをマークしたということが売りだったが、マークした結果がどうだったのか誰も触れないので実態がわからなかった。ワールドカップでマラドーナをマークしたというキャッチフレーズ以外に印象がなくリーグ戦出場も2試合だけだった。

パクギョンファン(ベルマーレ平塚)
出場なし。ホンミョンボの話し相手として連れてこられたのではないか。

中越幸大(ガンバ大阪)
パラグアイ人。出場なし。誰だかわからない。

デュカノビッチ(アビスパ福岡)
一部残留の切り札として来日した元ユーゴスラビア代表のストライカーだがノーゴールを重ねた。長身だがお爺ちゃん面で猫背。自信がなさそうに見えた。ゴールはレギュラーシーズンでは1。市原との残留戦ではGKが飛び出したゴールに振り向きざまでシュートを打ち込み、身動きとれずに棒立ちになっていた中西の足にボールを命中させてゴールを逃すなど不思議なシュートが多かった。

リネカー(名古屋グランパス)
Jリーグを世界に知らしめた功績は多大だがプレーは怪我もあって期待はずれ。プレシーズンでは点で合わせるリネカーゴールを披露(とくに国立のラッツィオ戦)したが世界の得点王も18試合出場4得点(リーグ戦)に終わり当時の名古屋低迷の元凶となった。唯一の1試合2得点はマリノスとのカップ戦。だがリネカーが期待するボールが供給されなかった面もあり、一概に彼本人のみが原因とも言い難い。

サーシャ朴建夏(柏レイソル)
ベンチーニョの後釜として期待の元に、ユーゴスラビア人、Kリーグ得点王でストロングヘッダー、美形のサーシャ。ところが来日してみると怪我が判明。怪我が癒えてサテライトに出場し始めても動きが重く「体調がベストになるまでリザーブ」と西野監督により起用は押さえられた。結局、ほとんど出場はナシ。水原三星からはサーシャ怪我の間、朴建夏が代わりに3ヶ月レンタルで来日。ところが、いきなりインフルエンザでダウン。限られた期間の大半を床で過ごした。

ベベト(鹿島アントラーズ)
ブラジルの94年ワールドカップ優勝、98年ワールドカップ準優勝メンバー。キリンカップやトヨタカップでも何度も来日し知名度も活躍も十分。Jリーグでも大いなる期待をされたが見事に裏切られた。来日前に移籍をめぐるトラブルでトレーニングが十分でなかったという報道で、いつ本調子に戻るかが注目の的であったが、結局、本調子を見ることはなかった。ゴールは1点のみ。マリノス戦でDF起用に慣れない岡山をかわして放ったシュートだった。子供がポケモンファンということで、グッズは沢山買って帰ったと思われる。

ブルカ(ジェフ市原)
ディフェンスの強化を図る市原が「ポペスク2世」のふれ込みで獲得。まったく使い物にならない線の細さで降格の危機に陥れた。ザムフィール監督が同郷・ルーマニアのよしみか起用し続けた。ザムフィール失脚とともに出番は消滅し甲府へ移籍したが、結局、甲府はJ2最下位に沈んだ。

リバチン(横浜マリノス)
ウルグアイのユース代表時代にレコバとコンビを組んでいたという怪しい売り文句だったが、やはり怪しかった。ホームでの出場はナシの幻の選手。

レアンドロ(横浜マリノス)
経歴としては歴代の外国人選手の中でも群を抜く「香港リーグ得点王」。ヘッドはそこそこに強く「スネークヘッド(蛇頭)」と呼ばれたが、脚は素人並だった。前方回転受け身など、不可解な動きを多く見せた。

ルイス(川崎フロンターレ)
エースとして活躍が期待されたエメルソンの異母兄弟。スタンドから見るとシルエットはそっくり。特に走るときの肘の曲げた角度が一致。しかし、パスやシュートのセンスもスキルもない。スピードはあるため、スタンドもフィールドの選手もしばしばエメルソンと見間違える。エメルソンだと思ってパスを送るとルイスだったので、そこから先は展開が出来なくなった、という珍シーンも続出した。

ワシントン(セレッソ大阪)
残留争いの切り札として途中獲得したが2試合で帰国。最後の試合の敗色濃厚なロスタイムでの1点のみを記録した。そもそも直前に日本で行われたコンフェデレーションズカップでブラジル代表のエースとして来日したのがワシントン。セレッソがワシントン補強の報を聞いて、だれもが、そのワシントンを思い浮かべたが、来日したのは別人でベルギーリーグ二部得点王のワシントンだった。

ゼリッチ(京都サンガ)
元豪州代表.。主な活躍の場はブンデスリーガで1860ミュンヘンより加入した。長身で頑丈のディフェンダー。2002年第一節ではテクニカルなフリーキックも見せ、守備だけでなくセットプレーでは得点力も期待された。しかし、「風邪」を理由に第二節を欠場。その翌日には「家庭の事情」での退団が発表された。再来日した浦和では活躍したがナビスコカップの優勝メダルを盗まれた。

ロブソン =ロブ損(コンサドーレ札幌)
ロシアリーグ得点王のふれ込みで入団したブラジル人。それまで、ウイル、エメルソンと札幌は良質なブラジル人ストライカーを獲得していたので大いに期待された。チャンピオンズリーグでも得点を記録。しかし、運動量が少なく決定力も無いことが判明。さらに、スパルタクス・モスクワではかなり得点していたことは事実だが得点王は経歴詐称であることも判明。暑さにも弱かった。シーズン序盤で退団した。

エデー(ベガルタ仙台)
3月のサテライトで相手選手を後ろから蹴った暴力行為と、判定を不服として審判の体に触れたことで、サテライト4試合の出場停止。その間のトップリーグの試合とナビスコカップの試合にも出場できないため、合計で10試合以上の出場停止処分を受ける。処分後、甘いルックスが話題になり、「仙台のベッカム」として売り出しをかけ始めた矢先に勝手に退団。移籍元のサンパウロFCは責任をとって代替え選手を仙台に補完した。

ジュニオール(サガン鳥栖)
平均観客動員1万人以上を目標にした鳥栖フロントが獲得したジーコの息子。日本代表監督のジーコが時間を割いて観戦に来たりしたものの全く振るわなかった実力不足のブラジル人。開幕1週間前に来日し6月に解雇された。味方も練習で見切っていたのか試合ではほとんどパスを出さなかった。試合後の記者会見では監督に起用の意図を問う質問が相次いだが明確な回答はできなかった。顔だけはジーコに似ていた。2試合に出場したので史上初の親子Jリーガーの称号を得た。

ロドリゴ(大分トリニータ)
かつてジーコに連れられて鹿島で修行。ブラジルへ帰国後は大ブレークして全国選手権でも得点王に輝く。期待されて大分が10番として獲得。非凡なフリーキックなどで主軸として活躍するが、怪我人が出た後に相手チームに返したボールをかっさらってゴールを奪ってしまいサッカー界に大論争を巻き起こす。クラブのイメージ低下を恐れた大分はUAEのアル・アインに放出。アル・アインはアジアチャンピオンズリーグを制した。鹿島国育ちが災いした。

クラウデシールダ・シルバ(鹿島アントラーズ)
クラウデシールはジーコライン以外から初めて獲得した外国人。2003ファーストステージの優勝を争う大切なマリノス戦で来日後数日でいきなり途中出場するが長身に似合わないフィジカルの弱さを露呈。ボランチで起用されるが久保のハットトリックで逆転され攻撃的選手を投入するためにデフェンスラインに下げられる。ヘッドも弱く何が得意だったのかわからないままに帰国する。代わって獲得したのがダ・シルバ。ベルギーリーグでの最優秀外国人選手賞受賞経験もあるふれ込みだったが7試合出場、最後の試合は途中出場後23分で怪我をし、そのまま解雇となった。

ファビオ・ジュニオール(鹿島アントラーズ)
ブラジル代表で8得点し期待されたストライカー。だが、かつて移籍金20億円でローマに移籍し1年でブラジルへ戻る前歴を持っていた。186センチの長身ながら、ゴールに背を向けるだけのプレーが多く「ゴールの気配がない」「シュートの気配がない」と中継の解説陣から散々の評価を浴びる。当初はコンディション不良と思われたが、キモチの問題と判明。スキンヘッドだが、いかにも気が弱そうな顔をしている。結局は1得点のみで解雇となった。

イルハン(ヴィッセル神戸)
リネカー、ベベト以来の大物期待はずれとしてJリーグの歴史に名を刻んだ。2002年ワールドカップでの笑顔で注目され、Jリーグ獲得前から「王子」として女性週刊誌が特集を組み、女子高生から主婦までのアイドルに。写真集まで発売されトルコへの観戦ツアーも組まれた。楽天が経営権を握り、神戸再出発の目玉として抜群の人気・知名度のある同選手を総額約9億円を投じて獲得したが故障が発覚し帰国手術。再来日して1試合に出場したが、再びケガを理由に帰国し二度と戻らなかった。出場は3試合。最後の試合はマリノス戦。人気に便乗して「いる飯」というメニューを売り出した神戸ウイングスタジアム近くの商店の行く末が案じられた。

ワンチョペ(FC東京)
2002年、2006年の」ワールドカップで大活躍したコスタリカ代表の10番。イングランドではマンチェスター・シティでも活躍。FC東京が初のリーグ制覇のための切り札として獲得したが怪我とスピード不足からJリーグに馴染むことができず、6月には、あっけなく帰国した。その後、米国メジャーリーグサッカーのシカゴ・ファイアー入りをした。FC東京サポーターの植田朝日君がアルゼンチンの帰りにシカゴに寄って観戦するものの、やはり怪我でワンチョペは欠場をしていた、というエピソードもある。

ダニーロ(鹿島アントラーズ)
名門サンパウロFCで10番を背負った期待の選手だが、まったくの期待はずれに終わった。懐の深いボールキープが得意だったがスピードと戦術眼に欠けており、10番としては機能しなかった。しかし、そもそもサンパウロ時代から、10番に似つかわないプレーぶりは酷評をされており、来日以前のスカパーでも、倉敷アナウンサーに「なぜ、彼がサンパウロの10番を背負えるのか判らない」と紹介をされていた。もともと、まさかの来日だったが、鹿島サポーターからの期待は大きかった。

アルセウノナト(コンサドーレ札幌)
アルセウはチーム合流後6日目に練習試合で相手選手を蹴って退場。翌日には退団した。翌シーズンは柏に入団するが開幕前のキャンプで左膝じん帯を断絶。アルセウと同時に加入したノナトは全くコンディションが上がらずに沈黙。OBの平川に「何かは持っているノナトおじさん」と言われていたが、何を持っているのかはわからないままにJ1で1試合の出場記録を残して夏に解雇。その後、J2徳島のテストを受けるも不合格。この頃の札幌の外人補強は壮絶だった。

ゼ・カルロス(ガンバ大阪)
長身で強靭な肉体を活かしたストライカーという触れ込みだったが、完全にオーバーウエイトで動けない、ただのデブだった。ブラジルでは試合開始7秒で退場という記録も持っている。

チエゴ(京都サンガ)
ディフェンスのユーティリティプレイヤーとして期待されたが、長期間にわたって謎の練習欠席。その後、天皇杯で佐川戦に出場するもいいところなく、前半27分に交代。秋田監督に「彼のストロングポイントが一切見つからなかった」と斬り捨てられた。何がダメだったのかもわからないほどダメだった。

パク・チュソン(ベガルタ仙台)
別名:偽パク・チソン。ホームゲームのマリノス戦では熱中症で倒れる失態。手倉森監督に「日常生活でいかに栄養に気を配っていないかがわかった。もっとキムチを食べたらいいのに」「プロが熱中症なんてJリーグ始まって以来だろ。情けない。」と怒りを買った。

カルロン(鹿島アントラーズ)
ポルトガルリーグで得点ランク2位(シーズン途中まで)と大活躍し鳴り物入りで鹿島入り。しかし運動量が少なく、長身なのにヘディングが弱く、4試合84分の出場しかできず。夏にはスイスリーグへレンタル移籍となり、その後、ポルトガルリーグへ復帰した。

ダニーロ(FC東京)
「将来のセレソン(ブラジル代表)というより、今の僕の目標は、日本代表を目指すこと。日本で活躍して、名前を残したい。ダニーロという選手がいたことを、誰もが思い出し、覚えているような選手になりたい」と来日記者会見で発言し東京中日スポーツの一面を飾ったが5試合で帰国。

ユングベリ(清水エスパルス)
Jリーグに久々に登場した超大物外人として期待されたが、コンディションが上がらなかった。天皇杯で怪我をし治療のために帰国したが、再来日しなかった。ビジョンの違い、ACL出場を逃した、住まいに満足しなかった、など、様々な理由が新聞記事に掲載された。

バスティアニーニ(横浜F・マリノス)
イスラエル、ベネズエラ、アルゼンチン下部リーグ出身であり期待は大きくはなかったが、基礎技術が不足し、まったく活躍できなかった。網膜剥離で戦線離脱。その後に東日本大震災の影響で帰国した家族と共に生活するために契約を解除して帰国。





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題字:書道家うどよしさんに書いていただきました。