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誰が言ったか「プロは結果が全て」
石井和裕


1982年に公開された松竹映画「道頓堀川」(宮本輝原作・深作欣二監督)をご覧になった方はいるだろうか。ビリヤード・プロ日本一を狙う佐藤浩市演じる政夫が、自分の将来の全てを賭けて。元プロビリヤードで鳴らした山崎努演じる父と一騎打ちする。行き詰まるゲームのファイナルで父は決定的なミスをし、政夫は決定的にイージーなチャンスを掴む。これをひとツキすれば邦彦の勝ち。ド素人でも外さないようなポジション。いま勝負が付かんというところで父が口を開く。
お前の母親が死んだ本当の原因は、オレがビリヤードの借金を埋めるために母親に身体を売らせたからだ。金を稼いで帰ってきた母親はオレを罵り金を宙に投げ道路をさまよい、ダンプに曳かれて死んだ。
政夫は動揺し、ほんの僅かのミスで、この勝負に敗れてしまう。ゲームを終え、父は勝ち誇った顔で言う。
「これがプロや。」
非常におおざっぱに書いたので原作者や脚本家、それに監督に申し訳ないが、まぁ、こんな話だ。

「プロは結果が全て。」
サッカーに於いても良く聞かれる言葉である。だが、誤解も多いように思える。

例に挙げた勝負の場合は「自分の将来の全て」が懸かっていた。勝たなければならなかった。
プロは結果が全て。ポーカー、花札、パチンコ、などなどのギャンブルならば相手が賭けた金を奪えばいい。街頭の喧嘩のプロはタイマン勝負で相手をやっつけて金を巻き上げればいい。それが結果だ。

サッカーのプロの場合、結果は何だろう。ギャンブルや喧嘩のように勝てばいいのか。単純に相手チームよりも高い技術や体力で得点を多く獲って勝てばプロとして責任を果たしたことになるのだろうか。さて、ここで少し堅い話をしよう。

近年PCの使い勝手が良くなったせいもあって、街には自称グラフィック・デザイナーが溢れている。イベントのフライヤーを作れたりTシャツの絵柄が起こせたりする。感性で描き出された彼らのデザインは素晴らしいものも多い。だが、彼らがプロのデザイナーと称されるかというとちょっと違う。
いくらデザインが格好良くても売れなければ仕方ないのだ。ここでのプロとしての求められる結果は「デザインが素晴らしい、巧い」かどうかではなくて、その「デザインでモノが売れるかどうか」そして「デザインをお金を出して買ってくれるかどうか」なのだ。ものが売れることで収益が上がり、つまりお金を得ることでプロとして評価されるわけだ。デザインのプロの現場では、ただ綺麗に作る技術があっても、本来の目的を達成することのできないデザインをする者をプロとは認めない。

ではサッカーの場合はどうだろう。「勝つことを結果としている」のは、プロよりも、むしろアマチュアの方だ。どうんなカタチであれ勝てば満足できる。だが、プロの場合は「勝つことが結果」ではない。結果は「収益を得る」ということなのだ。選手個人が収益、つまり年俸を受け取るためにはクラブが利益を生み出さなければならない。勝てば賞金を得るだろう。だが、もっと大きな利益は「入場料収入」「広告」「テレビ放映料」などだ。つまり、サッカーにおけるプロが求めるべき結果は、単に勝つことではない。多くのヒトに注目され、入場券を買ってたくさんのヒトにスタジアムに来てもらえることが優先される。となると、求められるのは「サッカーの内容」だ。念のために補足するが、その「内容」には「勝つこと」も含まれる。だが「内容」と「勝つこと」はイコールではないし、「勝つこと」と「結果」はイコールではない。

プロが求める「結果」とは「お金を払うに値する行為を見せたかどうか」なのだ。
だから、その「結果」とは「勝った負けたの結果よりも、むしろ『試合内容』に近い」意味になる。

たいていの場合は、見たくなくなるような悪い「内容」では勝てないので、勝っているときは、観客は「内容」にある程度満足していると思ってイイ。ただ、勝たなかったからといって、プロの義務を果たしていないと言い切れるかというと、それは全く違う。そして勝ったとしても観客動員が悪いのであれば、それはプロとして義務を果たしていないことの証明なのだ。逆に言えば、2001年シーズンの戦績は悪かったが観客動員は良かった。だから、プロとして残留戦を見事に提供してくれたわけだ。無惨なつまらない試合「内容」を見せ続けていたわけではない。

ついでに別の競技の話をしよう。ムエタイ(タイ式キックボクシング)の場合は強すぎる選手はプロとして評価されない。なぜなら、ムエタイが賭の対象になっているからだ。必ず勝つような強い選手では賭が成立しないからだ。そこそこに強い選手がプロとして評価される。強すぎる場合は、他の競技に転向するか、手加減して試合をするしかない。


最初に紹介した「道頓堀川」では、勝負に負けた政夫の親友の邦夫が、その直後に突然死んでしまう暗くて重い結末が待っている。プロが賭ける勝負は、それほどまでに冷酷である必要はなかろう。
だが私たちはスタジアムで叫んでいるとき、たまにそのことを忘れている。