   
熱中時代
石井和裕
スタジアムには、それぞれ独特の雰囲気がある。そして、その日の試合内容によっても印象は大きく異なる。私にとって大きなインパクトがあったスタジアムを3つ挙げると、大田ワールドカップスタジアム(韓国-イタリア)、ラチャマンガラスタジアム(タイ-韓国)、スタジオオリンピコ(ラツィオ-レアル・マドリッド)となる。共通点は、いずれも崖っぷちに追い込まれたギリギリのゲームだったこと。
大田ワールドカップスタジアムは言わずとしれたワールドカップ。強豪イタリアに韓国が追いついて、最後は、その後にマリノスへやってくるジョンファンのゴールで逆転勝利してしまう試合。同点になってからの熱狂は想像を絶する世界で、コールなんてお構いなしに、みなが、ただただ絶叫していた。その晩は耳鳴りでなかなか眠ることが出来なかった。
ラチャマンガラスタジアムは1998年のアジア大会での大番狂わせ。退場者を2人だして9人のタイが11人の韓国に勝ってしまった試合。これも、超満員の観客が口々に激励の声を出し、そのパワーが結集してゴールデンゴールを呼び込んだような展開だった。その直後にマリノスにやってくることが決まっていたサンチョルが、素晴らしいフリーキックを決めるが、最後の1点を穫ったのはタイだった。
スタジオオリンピコで試合を見たのは2回目だった。このときはチャンピオンズリーグ二次リーグ。負ければ敗退が決まるラツィオの対戦相手は1位抜けを確実にしながらベストメンバーで乗り込んできた白い巨人・レアル・マドリッドだった。2度のリードも余裕で追いつかれてしまう、実力差を見せつけられた試合。クルバも土壇場ではスタンド全体を指揮することは出来ない、そんな騒然とした雰囲気の90分だった。
きっとギリギリの場面に追い込まれれば、人は冷静さを失う。だから感情に任せた応援をする。その場面で、跳ねること、歌うこと、コールすることを考えて行うよりも、考えるという過程を飛び越して、身体の底からストレートに絶叫する方が、そのパワーは何倍も大きいだろう。それを肌感覚で覚えた。
ウルトラで印象に残っているのは初めてスタジオオリンピコへ行ったときだ。このとき、初めて知ったのだが、イタリアのクルバはテレビの印象と比べると、組織的ではなく、熱狂度合いはゴール裏中央からコーナーに広がって薄くなっていく。その現象は、あまり日本とは違わない。その後に訪れた他のスタジアムでの同様だった。
この頃のローマは順位は中位。王子ジャンニーニは衰え、エースのはずのカニーヒァは薬物で長期出場停止。新外国人のミハイロビッチは機能せず、バルボとヘスラー頼み。新王子となるトッティは、まだデビューしたばかりで戦力としては計算できなかった。
クルバの中央最前列に陣取るたくさんの太鼓と10名くらいの集団は、90分間、常に歌い、コールし続けていた。だが、その他のサポーター(ティフォージ)達は、試合展開に合わせて、気が向いたときに、それに合わせるというスタイルだった。当時のJリーグは、ゴール裏もバックスタンドも総立ちで歌い続けるのが常で、このオリンピコで遭遇した風景は、私にとっては、かなりの衝撃があった。確かに、試合前にクルバを覆い尽くすマフラーの波には感激したが、その時に流れる歌はクラブが大音響で流すオフィシャルソング。それに合わせて歌っていた。これも、日本にはない方法だ。そして、応援の迫力を最も感じたのは歌でもコールでもビジュアルでもなく、ここぞというチャンスに沸き起こる大歓声だったのだ。クルバの歌も、チャンスや場面に応じて音量がアップする。しかし歌よりも騒然とした声が上回る場面も多い。だから、第三者として見ていて、ローマの得意とする攻撃や、今、何を観客席が求めているのかが、とても良く伝わってきた。スタンドの観客一人一人が、自分の目の前で起きている試合に対して自らの意思表示をしているからだ。ジャンニーニがチャンスにパスの選択肢を間違えてボールを奪われたときに沸き起こったブーイングは、印象的な出来事の一つだ。
だからといって、スタンドでは個人がバラバラにやってさえいればよいと感じたのではない。クルバの中央最前列に陣取るたくさんの太鼓と10名くらいの集団が、90分間、常に歌い、コールし続けているがゆえに、スタンド全体にリズムを与え、好機や得点での声援大爆発のための助走をつけてくれている。そういう演出を、彼らはやり続けてくれているように見えた。彼らは、どんな状況でも止まることはなく、常に歌い続けコールを続けた。彼らがいるからこそ、スタンドの大歓声は沸き起こる。うまく役割を担ってくれているように思えたのだ。こころの底から素晴らしいと思った。だから、横浜でも、ゴール裏コアゾーンのサポーター達には、最大限の大音量と大きな動きでパフォーマンスを繰り広げてほしいと思っている。
では、日本国内でのアウエーで、もっとも衝撃を感じたのはいつだろう。
こういう話題では、浦和、仙台、新潟、東京などが定番だ。だが、私は、全体が組織された応援パフォーマンスには大きな魅力を、すでに感じていない。(ナポリのようにスタンドの屋根の上から箱をぶちまけて紙吹雪を巻きすぎて試合開始が延期になったり、屋根の天井から仕掛け花火でメッセージを掲出したけれども煙でよく見えない、といった突飛な出来事には遭遇することは、日本では、まずあり得ない。)浦和が凄いといっても、想像以上の出来事にスタンドで遭遇したことはない。(コンスタントに観客動員が良く、声援が大きく、「あの雰囲気で試合がしたい」と他クラブの選手に思わせて選手獲得に役立つということは、もちろん大賞賛だ。)
実は、もっとも、こころの底から衝撃を受けたのは2000年7月29日の名古屋戦、瑞穂陸上競技場での試合だ。瑞穂のゴール裏といえば、ハッキリ言ってパッとしない印象だろう。私もそう思う。収容人数も2万人ほど。それでも圧倒的な圧力を感じた。それはなぜだろう。
この試合はストイコビッチが坊ちゃんに対して、もの凄い対決意識を燃やした試合だった。二人の10番がフィールドで火花を散らした、という表現にふさわしい好ゲームだ。そして試合前に驚いたことがある。赤いユニフォームやTシャツは、大人も子供もギャルも、ほとんどみんな「10 ストイコビッチ」の名が記されていたのだ。スタジアムに向かう道で見た女子高生3人組が揃って「10 ストイコビッチ」というのには驚いた。
名古屋のゴール裏の歌やコールは大した脅威には思えなかった。遠く正面から聞こえて来るくらいの印象だ。だが、すぐ周りの席に座っている人たち、そして、メインスタンドやバックスタンドから聞こえてくる歓声は、少ないトリコロールのサポーターを押しつぶしてしまうように思えた。誰かが指揮するわけでもなく、なにかに合わせるわけでもなく、ウワッとのし掛かってくるのだ。特に、それは、ストイコビッチがボールを持つと音量を増した。しかも、もっとも脅威だったのは、私が思っているストイコビッチのプレーイメージよりも、ホームスタジアムでのストイコビッチのプレーはワンテンポ早く、さらには、そのプレーのタイミングよりも、ほんの僅かに早く歓声が沸き起こる錯覚を感じてしまったことだ。さすがに、これは意図的に真似しようと思っても真似ができるモノではない。この雰囲気は、私の思考を混乱させた。名古屋の人たちは、みな、ストイコビッチが次に何をするのかを知っている、そんな感覚に襲われたのだ。きっと、具体的なイメージはなくとも、ストイコビッチが何かしてくれるという願いがスタンドに充満していただろう。中には、これまで蓄積したイメージから、この場面でストイコビッチの周りにいる選手達は何をすべきかを思い描いている人も多かっただろう。とにかく、いってみれば単なる歓声が、私たちに何度も何度も襲いかかってきたのだ。フィールド上に熱中し応援するキモチを持った人々が多く集まれば、その個々の声はとてつもなく大きなパワーを生み出す。歓喜のゴールの後に、さらに「自分たちが支配する時間」を引き寄せられることは、スタジアムの誰もが知っているではないか。
今、与えられた自分の持っている時間で、最も熱中できるモノがサッカーなのならば、横浜F・マリノスなのならば、たくさん「サッカーを見よう」、たくさんの「サッカーの話をしよう」。トリコロールのサッカーの話をしよう。そこに、自分の思い入れや意見、素直な感情が、たくさん絡まれば絡まるほど、同じクラブが好きな仲間との間には、新しい驚きや喜びが生まれる。そして、それを披露する、日本で一番大きな舞台と、偉大な足跡を印してきた伝統を私たちは持っている。私が心の底から感じたアウエーの圧力の何倍ものパワーを作り出す可能性をトリコロールは持っているのだから。

   
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