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“代表サポータ-”よ
なぜ一人一人で出来ないのか?
石井和裕


コンフェデレーションズカップは、決勝戦こそ完敗だったが、全体的には日本代表の良い面が表現され、大変素晴らしい大会だった。日頃、サッカーに関心の薄い人までもが、中継に一喜一憂し、朝のワイドショーも日本代表一色になるなど、まさにプレ大会として本大会1年前のカウントダウン開始を高らかに宣言した格好だ。

そんななかで残念なこともあった。カテゴリー3の、いわゆる自称“代表サポータ-”の応援マナーである。これはN(北=ホーム側)2階での出来事であるのでS(南=アウエー側)や1階で、どのようなことが起きていたかは知らないが、おそらく大差はないであろう。
試合前に何人かの集団がチケットの交換をしていた。日頃一緒に応援している仲間と近い席で応援したいからであろう。チケット交換の時のお願いの仕方などは、言葉遣いにも気を使っており、大変丁寧に、相手に対して失礼のないお願いが出来ていたように見えた。しかし、最初の問題は、その席である。チケットを交換した相手は、今の席よりも条件の良い席で見れることになり、ある程度は満足して、その席を去ったに違いない。しかし、その席の後ろにも席があるのだ。せめて交換した席が最後列か通路の直前であれば、まだイイのだが、“代表サポータ-”の後ろの席になった家族連れは立ち上がる彼らの間から狭い視野で華麗なフランス代表の速いパス回しを見ることになった。そして、彼らの周りには、試合開始後にたくさんの“代表サポータ-”が集まってきた。彼らは席の交換をするわけでなく、近くの階段や通路に立って観戦した。あっという間にその数は増えて、通路は埋まってしまった。そうなれば、彼らの後ろの席は、もう試合は見えない。自由席であれば場所を移動することもできるが、指定席なので、どうすることもできないのだ。通路の隣の席で座っていれば、通路に立って叩く太鼓の位置は耳のすぐ脇だ。試合が終われば音は聞こえなくなるほどの残響に覆われているだろう。不思議なことに、全席指定のこの試合で、この状況を解決しようと職務を全うする警備スタッフはいなかった。

この日のカテゴリー3は家族連れも多かった。それはそうであろう。カテゴリー1の11,000円のチケットで4人家族が見るのは、ものすご贅沢だ。ワールドカップにおいては、ここに、外国から何十万円も費用を払って観戦に来る人々が加わる。さて、この決勝戦で日本を応援しなかった人が、どれだけスタジアムにいただろう。おそらくほんのわずかの外国人と、ほんの珍しいひねくれ者だけであろう。つまり、太鼓やトラメガがなくとも、スタジアムの約60,000人は、日本代表の攻めに歓声を上げ、好プレーに拍手を送り、ゴールに絶叫する準備があったのだ。ところが、好まざる集団の“代表サポータ-”の後ろの席、もしくは周囲の席の人々は、それらの準備を捨ててしまった。5,000円もの費用を支払いながら。これは“応援”という観点から見ても大きな損出であるとは思わないのだろうか。太鼓に合わせた手拍子や応援歌よりも、ビッグプレーに自然に反応した満員の観客の大歓声は、よっぽど大きな威力を発揮するのに。

“代表サポータ-”はなぜ、一人一人で応援することが出来ないのだろう。
近くに親しい人がいなければ応援することが出来ないのだろうか。

さて、チケットを交換して集団を作ることは、するべきではないと私は思っている。今を去ること8年前。1993年5月15日。Jリーグの開幕戦は全席指定席だった。その際にマリーシア内でも「チケット交換して集団で応援する」ことが議論になった。しかし結論はNo。各自が自分の席で応援した。「これから一緒にリーグ戦で応援していくのに、なぜ親しい仲間だけが固まらなければならないのか。」理由は明白だった。皆で応援するつもりがあれば固まるべき理由はないのだ。

それでもやっぱり・・・とういう人もいるだろう。その人たちに提言したい。チケット交換をするのであれば最後列か通路の前。後ろに入る人に迷惑をかける場所で立って応援すべきではない。そしえ、周囲の通路や階段に人が集まり始めたら、自らの責任で、彼らを席に戻すべきだ。さらに念を押して、あらかじめ警備スタッフを、その場所に配備してもらって、通路や階段に人が溜まらないように手を打っておくこともいい方法だ。

皆が応援できる世界標準の応援マナーを、ぜひこの機会に身に付けてほしい。