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マリーシア・フットボールコラム

「クラブの大罪」 石井和裕

貸切のときって、気持ちが大きくなったり、やりたい放題ギリギリまでやってみたくなったりしませんか。バス旅行だったり、結婚式の二次会だったり・・・。貸切って、そういうモノだと思います。

2006年9月9日。バックスタンド2階中央部は自由民主党の貸切でした。そこには「自民党」と背中に大きくプリントされたTシャツを着たスタッフがたくさんおり、自民党総裁選のポスターが貼られていました。議員の名前がプリントされた「のぼり」が2本立てられました。そのエリアの観客の手にしている団扇には「自民党」の文字。コンコースには、長テーブルが設置され、「自由民主党」の「のぼり」が掲出されていました。コンコースは、すでに5階から隔離状態になっていて「自民党席」のチケットを持っていない人は入ることはできませんでした。

スタンドに立てられた議員の名前がプリントされた「のぼり」を目撃した私は、さすがにこれはマズい、と思い撤去を要求することにします。スタンドは不特定多数の目に触れる場所です。しかも、当日はNHK総合テレビで生中継があり「あわよくば議員の名前をテレビ放送に乗せよう」という思惑を持った人が自民党席にいるのでは、と思ったからです。万が一とはいえ「のぼり」以外にも何かを掲出したり、音声による団体行動をとるかもしれない、という最悪の事態の対応策も頭の片隅にはありました(それは非常に確率の低い予測なのですが)。

ここで大きな問題に直面します。

「スタジアム内での政治的な活動を許可しているのか?」
警備員に質問しても、質問の意味を理解してもらえないのです。さらには、その質問の答えを、誰に委ねれば良いのかも分からない様子です。時間だけが過ぎてゆきます。つまり、警備会社のスタッフには「政治的な活動は許可されていない。すぐに停止させる必要がある。」という教育はされていないことがわかりました。

そこで、マリノスのスタッフを捜すことにしました。かなりの時間を必要としましたが、胸に「マリノス」の名札をつけた男性を見つけ質問をしました。
「クラブはスタンドでの政治的な活動を許可していますか?」
「自民党の団体が観戦することは許可しています。」
「スタンドに個人名の『のぼり』が出ていますがクラブは許可をしていますか?」
「わかりません。」
「わからないのであれば確認してください。」
「確認します。」
と言って、胸に「マリノス」の名札をつけた男性は立ち去ろうとします。その場で確認する必要はないと考えたのでしょう。つまり、このスタッフにも、「政治的な活動は許可されていない。すぐに停止させる必要がある。」という教育はされていないことがわかりました。

そこで、私は携帯電話を取り出して言います。
「アナタが、今、ここで確認をしないのであれば、私が今、ここで___に電話をして確認します。アナタが確認をするのが良いですか?私が確認をするのが良いですか?」
フェアな方法ではないと思いましたが、やむを得ず、そのような方法をとりました。胸に「マリノス」の名札をつけた男性は、自ら電話をして確認。
「スタンドの『のぼり』は許可していないので撤去します。」
と、回答されました。
その後、スタンドの「のぼり」は撤去されました。その際に、自民党席のエリアには警備員の姿がありました。数分後に、再び「のぼり」は立てられるのですが、1分も経たないうちに撤去されています。その際も、「のぼり」の近くに警備員の姿が見えました。

なぜ、自民党は許可されていない「のぼり」を立てたのでしょうか。「あわよくば議員の名前をテレビ放送に乗せよう」という思惑を持った人が自民党席にいたのかもしれませんが、実際は、もっと簡単なことだったのだと想像します。貸切で隔離された席だったので悪いとは思わなかった、ただ、それだけです。

なぜなら、今回の「政治活動(自民党はマリノスを応援していますというPRメッセージの発信)」はマリノスフロントとの共同作業で成立しているからです。それは、「クラブが発行する印刷物(マッチデープログラム)」「クラブが制作協力するテレビ番組(TVKキックオフF・マリノス)」「クラブが上映する大型ビジョン映像(キックオフF・マリノススタジアム版)」に、胸に自由民主党とプリントされたシャツで自民党の人々が登場して自民党をPRしているからです。つまりマリノスフロントの協力によって自民党は「政治活動」を行うことが出来たのです。ここが最も大きな問題です。

マリノスフロントの協力によってテレビを使ってやっていいことを、スタンドでやってはいけないわけがない。」
と思ってもおかしくないはずです。
ですから、今回、もっとも責任が重いのはマリノスのフロントです。しかも、その過ちを認めるのか認めないのかが4日間経っても決まらないのです。これは、もう、機能停止状態です。普通の企業であれば息の根を止められていてもおかしくありません。

さて、では、なぜ、この程度の「政治活動」を問題にしているのでしょうか。理解されない方も多いようです。9月11日に掲示板で仁さんが書いてくれた書き込みが、もっとわかりやすいと思います。

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「スポーツを政治利用させてはいけない」というのは、「スポーツを政治利用してきた歴史および、政治利用している現実」があるゆえの、スポーツを愛するものが発する悲痛な叫びなのです。
歴史でいえば、1936年のナチスドイツによるベルリン五輪であり、1978年の軍事独裁政権によるアルゼンチンW杯であり、最近で言えばベルルスコーニだったわけです。スポーツは熱狂と切り離せません。利用されたスポーツの成績が良ければ、その大会が盛り上がれば、そのスポーツ/スポーツ大会をバックアップした政権、政治勢力が正しい、という勢いを増長しやすいのです。
純粋にスポーツを愛するものから言えば、スポーツの熱狂を別のものに転化されるのは、許し難い行為に写るのは当然でしょう。78年のアルゼンチンW杯で、同大会のスーパースターになることが確実視されながら、参加拒否という態度を貫くことで、強烈に「ノー」を表明したのがヨハン・クライフでした。クライフはW杯がアルゼンチン軍事独裁政権が国威発揚の場としていることを確実に見抜き、自らの政治信条に従い、反対勢力を虐殺している軍事独裁政権に対して「ノー」を言ったのです。しかし、クライフの試みは注目を浴びることによってある程度の成功を収めたものの、軍事政権側が得たメリットの方が多かった。軍事政権によって殺された人々は2〜3万人と言われていますが、アルゼンチンの優勝に同国民はそんな現実を忘れ酔いしれたのです。
日本が関係したものもあります。1980年のモスクワ五輪は、ソ連によるアフガン侵攻に対するアメリカの抗議にあわせる形で、西側諸国が次々とボイコットしました。日本もボイコットし、当時金メダル確実と言われた選手達が涙をのみました。柔道の山下泰裕が涙ながらに参加させて欲しいと呼びかけていた姿は今でも忘れられません。山下はロサンゼルス五輪で金メダルを取ったからまだ報われたけど、マラソンの瀬古利彦はピークを過ぎ、ロスでは惨敗しました。スポーツが政治利用され、その被害者になるのは、アスリート本人であり、それを応援するものたちなのです。
今まで、そして現在も、スポーツが政治に利用され、その政治権力に反対するものたちに対する弾圧の正当化(もしくは忘却)に利用されたり、アスリートが犠牲になったり、その最高のアスリートたちのパフォーマンスを見られないという形で、スポーツを愛するものが犠牲となってきました。それは枚挙にいとまがありません。
今回のことはレベルが違う。何を大げさなと言うかもしれません。が、ポイント・オブ・ノーリターンにたどり着いてしまう前には、ちゃんとした前兆があるのです。その前兆の時から「ノー」を言っておかないといけません。ポイント・オブ・ノーリターンを越えてからでは意味がないのです。
ACミランのサポーターは、ほぼベルルスコーニ率いるフォルツァ・イタリアの支持者だと言われています。ACミランサポで反ベルルスコーニ派はさぞ肩身が狭いことでしょう。もしかすると、反ベルルスコーニ派さえいないかもしれません。マリノスがそんなチームになって欲しいですか? 僕は絶対にそんなチームなって欲しくない。チームの応援者は、チームを応援するというその一点においてつながって欲しいと思うからです。
サッカーの応援が集票に役立つとなれば、自民党以外も同じことをするでしょう。ピッチ上で行われていることと関係なく、スタジアムにさまざまな政党の幟がはためく状況を許せますか? 僕は絶対にいやだ。自民党支持者サポ、民主党支持者サポ同士が、スタジアムで勧誘合戦をするかもしれない、お互いにいざこざを起こすかもしれない。
スポーツは政治利用されるもの、と達観されている人もいるでしょう。でも、僕はそこまで「大人」にはなれない。僕は「スポーツを政治利用させてはいけない」という理想を青臭く、叫びます。

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今、「オシムの言葉」という本がベストセラーです。その中には「政治家」「民族主義者」に翻弄される旧ユーゴスラビアのサッカー選手達が描かれています。

私は、今の自民党が、本気でスポーツを悪用するとは考えていません。しかし、世の中には悪い考えや大衆を煽動しようと考える輩が必ずいます。将来において「悪意を持って巧妙に仕掛けをしようとする団体」が出現しても、今回の事件をうやむやにしてしまうと、同様のアクションを断る方法がなくなります。
「2006年の自民党はOkだったが俺たちはダメなのか。政治信条で客を差別するのか。」ということになります。そうなれば悪意の仕掛けはやりたい放題です。そうならないようにするためには、どうするのか。それは自民党を批判すれば良いということではないと思います。スポーツのある生活しやすい世の中は、スポーツを愛する人と、スポーツコミュニティの起点となるクラブが、自ら守っていかなければならないものなのです。そのために、クラブは批判に耳を傾け、襟を正して、2006年9月9日を悪い前例の記録とならないように総括する必要があります。2階で自民党が約束を勝手に破って起こしたことではなく、クラブとの共同作業で起きてしまった事件なのです。

サッカーを、クラブを、リーグを、社会を守る闘いは、本当の闘いです。見せかけの闘いごっこでは、守ることはできません。何もしないならば守ることはできません。ただ自民党に抗議することでも守ることはできません。







コンコースに立てられた「自由民主党のぼり」。受付でグッズが配布されていた。


クラブによって作られた緩衝帯。隣接すると一般客が騒ぐと思ったのだろう。2本のロープの向こうある「自民党席」に2本の、議員の名前がプリントされた「のぼり」が立った。


自民党総裁選挙のポスター。2階席の最前列に掲出された。


自民党とプリントされたTシャツ。


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