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マリーシア・フットボールコラム

フットボールは、その人の過去を語る 石井和裕

東南アジアでのアジアカップは間もなく終わる。3位決定戦が始まる前に、この原稿を書いている
。おととい発売されたサッカー専門新聞エルゴラッソの採点で、阿部勇樹は、このように評されていた。

「最高のシュートだったが、全失点の責任も負う」

とても厳しい文体だ。だが、採点は「6.0」。その原稿を書いたのは「森雅史」という男だ。

ゴール裏で応援しているサポーターならば、森さんの顔に見覚えがあるかもしれない。チョイワル風で女性受けする低く響く美声。試合前に、よくゴール裏のサポーターエリアに顔を出す。私が彼と最初に会ったのは1993年のマリノス天皇杯優勝記念イベントでだった。当時、彼は大手電機メーカーに務めていた。その後、彼は故郷の佐賀県に帰り鳥栖フューチャーズを応援する。存続に揺れる鳥栖で経営危機となったフューチャーズの存続運動に奔走。その姿をテレビで見た方も多いのでは。

そんな森さんは再び上京してサッカージャーナリストとなる。あるサッカー雑誌では、ついに編集長にまでなった。そして、あれは1年とちょっと前のことだ。日本サッカー協会の1階ロビーで、偶然、森さんと会った。この人は、いつも、握手どころか大げさに抱きつくのが挨拶だ。そこで衝撃の告白。
「僕はサッカーを見るために生まれてきたんだ。編集長になるために生まれてきたんじゃない。」
つまり、ドイツワールドカップを闘う日本代表を応援に行くために会社を辞めたというのだ。

話はアジアカップに戻る。

オーストラリア戦の評価は、おおむね好評な論調だった。私は、「一人少ないオーストラリアに対して攻めあぐね、無駄な延長戦の30分間を消耗したのは失態以外の何ものでもない」と思ったのだが、そのような評価を書く者は少なかった(セルジオ越後の代表批判記事は「いつものこと」)。「なぜもっと縦に勝負をしなかったのだろう」と、消極的な試合運びが、ただただ残念だった。サッカー新聞エルゴラッソで後藤健生(この人はJリーグ以前の日本サポーターの代表的組織・元日本サッカー狂会の代表格だった)さんは中村俊輔に「7.0」の高評価を与えていた。ところが、森さんの評価は「5.0」だった。

この記事を読んだとき、私は、急に、あの試合を思い出した。それは1994年のJリーグファーストステージのことだ。ドーハの悲劇翌年の開幕ゲームを三ツ沢球技場で開催。浦和レッズを迎え撃った。そのとき、森さんはゴール裏で私の隣の席にいた。森さんは当時のウルトラスニッポンの最年長世代だった。森さんは、中東での闘いにおける「彼」のプレーぶりが、よほど腹に据えかねていたのか、こう叫んだ。
「福田君!!そのプレーをなんでドーハでできなかったんだ!!」

森さんは日本サッカーを愛するが故に当時の福田を許せなかった。縦に勝負できない攻撃的プレーヤーは、森さんの日本サッカーを愛する心を満たすことができないのだろう。もう、あの三ツ沢の試合から10年以上が経過している。一人のサポーターだった森さんは、今、ジャーナリストとしてインドネシアでオシムジャパンを追っている。それでも、その文章や語り口から、今も変わらない森さん自身の人柄や想いが伝わってきてしまうのがフットボールがただのスポーツにとどまらない面白さの証明だ。人それぞれの生き様すらを映し出す、フットボールは人生の鏡となる。それに薄々感づいていても、フットボールを語るとき、人は素直で躊躇しない。






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