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| マリーシア・フットボールコラム クラブのビジョンと監督選択 石井和裕 「ワールドカップ決勝戦スタジアムの掲示板」が賑やかになった。「コーキチでいいの?」というスレッドに、賛成、反対、様々な意見が書き込まれた。そこで明らかになってきたのは「__監督『が』いい」という意見よりこ「__監督『で』いい」という意見がかなり多く見られること。「__監督『で』いい」という賛成意見を持つサポーターと反対意見を持つサポーターの間では、何か相容れない価値観があるように感じられるということ。けれども、それが何なのかは、書き込みからは明白にはなってきていないということ。 ただ、このスレッドは持論の優劣を競うことが目的ではない。現状を見つめ直して、私たちのクラブが執るべき選択肢は何なのかを考え、抽出された意見をクラブフロントとサポーターが共有をすることが目的なので、書き込まれた意見をご覧になったみなさんは、ぜひ、ご自分なりの監督選択の考え方を書き込んでみていただきたい。 さて、先日、大分トリニータがヤマザキナビスコカップに初優勝をした。Jリーグスタート以降に県リーグからスタートし、Jリーグのタイトルを獲得したクラブは初めて。なにしろ、私がゴール裏スタンドの最前列中央でコールをしていたときには、まだ、この世に誕生をしていなかったクラブだ。 実は私は偶然の出会いで、運良く、大分トリニータの優勝祝賀会に招待され、出席をしてきた。会場は都内のホテル。決勝戦を終えた、その日の夜に行われた。会場には、チーム関係者、スポンサー、行政関係者、メディア、そして一部参加申し込みを受け付けたサポーターの姿があり、約200名が、大分トリニータの勝利を祝った、熱血漢の溝畑社長は、何度もカップを頭上に掲げ、また、高松選手が獲得したMVPのトロフィーまでも掲げて会場内のボルテージをアップしていた。溝畑社長は通産省キャリアの座を捨て、私財を注ぎ込み、離婚をしてまで大分トリニータに愛情を注ぎ込んできた。そして、ミスター大分であるファンボカン統括本部長は、関係者やサポーターから絶対の信頼を受けて溝畑社長を支えている。ワールドカップでアジアのサッカー史に残るゴールをゲットし、選手としてJリーグ昇格の原動力(というよりも、このクラブの存在の原動力)として活躍をしたものの、監督としては不運もありJ1で1年を持たずして解任をされたファンボカンさんが、今もクラブの中枢で働いていることを最近まで知らなかった人も多いだろう。韓国では当然のことスーパースターであるファンボカンさんは、もう10年以上も大分に住み、普通に日本語で業務している。 この祝勝会で、溝畑社長は、このようなことを挨拶の冒頭でお話しされた。 「草野球から日本シリーズを勝つことはできないが、草サッカーから日本一になることはできる。それを大分で証明しようと考えてスタートしたのが15年前。いま、ついに、その夢を実現しました。」 「地方が元気にならないと日本はよくならない。大分が元気になることで日本の世の中を良くすることができる。そう信じてやってきました。」 溝畑社長だけではなく、スポンサー企業も行政関係者も大分県サッカー協会も、みな挨拶で同じ趣旨の発言をしていた。そういえば、前夜、大分トリニータのフロント陣数名にジャーナリストを加えて、これまたなぜか渋谷で深夜まで飲んだのだが、彼らも同じようなことを口にしていた。 大分トリニータにとっては、勝つことは「義務」でなければ「目標」でもなかった。彼らにとっての「目標」は、大分県民に喜びを提供し誇りと勇気と活力を与え、その結果、近年冷え込んでいる地方を蘇らせ日本社会をもっと良いものにしていこうということ。高い「目標」を掲げ、その手段として「勝利」を得ていこうとしているのだ。そのようなことを会社概要に記載しているクラブは多くある。しかし、大分トリニータにおいては、その理念が、しっかりとクラブの隅々にまで浸透している。未成年の金崎選手との会話の中にすら、その理念浸透を感じさせられる。 大分トリニータの大スポンサーといえばパチンコホールの全国チェーンであるマルハンが有名だ。京都で創業をしたこの企業は、元々は大分には縁もゆかりもない。挨拶に立った韓会長は、こう言った。 「大分県内にマルハンは3店舗しかありません。それに対して静岡県内には40店舗もある。今、清水のサポーターが『マルハンには行かない』と怒っているようですが、マルハンはお客様へのサービスを第一に考えている会社です。彼らはきっと来てくれる。その自信があります!!」 理念を共有したクラブとスポンサー企業の固い絆を感じる挨拶だった。 そこで、帰りの地下鉄の中で考えてみた。トリコロールの理念は何だったのだろう。もちろん、ネットで調べてみれば、オフィシャルサイトには書かれている。しかし、その理念が、どれくらい共有されていたのだろう、と思ったのだ。思い返してみれば、日本リーグの時代に、日産自動車サッカー部は、日産自動車社員の誇りと結束の象徴としての役割を担ってきた。一流の学生フットボーラーを獲得し、強化を図った。そのために、全てにおいて日本一を目指した。当時最高の晴れ舞台だった天皇杯で勝つことはもちろんだが、練習場の芝生、合宿所の食事、全てにおいて丸の内御三家(三菱、日立、古河)に差を付け、ライバルである読売クラブを少しでも上回ることをモットーとした。読売クラブよりも食事のおかず一品を増やすこともしたというエピソードもある。一人でも多くの日本代表選手を輩出し、強さの象徴とした。Jリーグブームにおいては、Jリーグクラブが一丸となって、サッカーの素晴らしさを日本中に伝え、ワールドカップ出場や自国開催によって、日本中にどれほど大きな喜びや共感の輪が広がる可能性があるのかを伝え続けた。そして、横浜マリノスは日本リーグ時代からの強豪クラブとして、高いレベルのサッカーとプロフェッショナルの意識をもってJリーグ各クラブをリードし、多くの選手を日本代表に送り込むことを、その存在意義としてきた。それこそが当時のトリコロールの誇りだったはずだ。 横浜F・マリノスのチーム理念は、このように書かれている。 1 常に優勝争いの出来るチームを目指します。 |
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