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トリコロールの事件簿 その1

マリーシアが巻き起こしたスタジアムでの事件の数々。1990年代から現在までサッカーの歴史には一切影響を及ぼしてはいない無意味な出来事を、ここに公開します。 

口は災いの元
1992年、マリノスが参加した最初のJリーグのオフィシャルマッチ、ナビスコカップの予選リーグ最終節が平塚競技場で行われた。マリノスは、ほぼ予選突破が濃厚な順位。確実に思えた。それもそのはず。対戦相手はダントツで最下位を走るフリューゲルスだった。この日、その後のコアメンバーが初めて一堂に会してメインスタンドに陣取った。そして「I」さんが始めたコールは「前半5点だマリノス!!」。試合結果は延長Vゴール負け。どんでん返しで、まさかの予選リーグ敗退となった。

似合わない
改装前のカシマスタジアムは収容人数が15000人でチケット入手が困難だった。1994年頃の話だと思うが、「K」さんはJTBの鹿島アントラーズ応援バスツアーをマリーシアメンバーのために買い占めた。大型バスに乗るほとんどがマリーシアのメンバーとなってしまった。チケットはバックスタンドアウエー側の指定席だった。ツアーコンダクターから泣きそうな顔で「K」さんは頼まれた。「アントラーズ応援ツアーなのでマリノスの応援を席でされちゃうと、次からはチケットが入手できなくなってしまっては弊社としては困るんです。」指定席だから応援しようがしまいがトリコロールカラーの一団が指定席に集まればすぐにバレル。しかたなく、「K」さんはじめメンバー達はスタジアムに着くと、全員分の指定席チケットとゴール裏自由席チケットの交換を始めた。反感を買わないように。「こちらはバックスタンドの指定席となっております。連番でご用意できます。お持ちでいらっしゃる自由席よりもかなり見やすい席となっております。恐れ入りますが、交換していただくことは出来ませんでしょうか。」過剰なまでに丁寧な敬語だった

やりすぎた
三ツ沢がホームスタジアムの頃は試合後のたまり場は白札屋だった。ファーストステージの初優勝を遂げ、座敷は貸し切りになった。椅子席にもユニフォーム姿が多く見られた。マリーシアのメンバーに、途中からはシーガルの「W」さん達も加わった。歌って騒いで盛り上がり、ついにはビールかけになった。座敷はビールでぐしゃぐしゃになった。翌日から座敷は数日間使えなくなった。

熱狂的な証拠
1989年元旦。日産自動車はフジタを破って天皇杯を制覇した。水沼の劇的なスーパーゴールだった。「N」さんは日産自動車の応援団が陣取るバックスタンド前列付近で応援していた。試合後に優勝の報告に選手達がやってくると大歓声が沸き起こった。「N」さんも絶叫していた。録画されたその試合のNHK中継のビデオを見ると、試合後に盛り上がるスタンドの様子が映し出されている。その中央には「N」さんが映っている。声は聞こえないが、口の動きは間違えなく「み〜・ず〜・ぬ〜・ま〜」となっているのがわかる。

訳がある
1993年5月15日のJリーグ開幕戦で国立競技場に一番乗りしたのは「S」さんだ。全席指定にも関わらず朝早くから青山門に並んでいる。だが、理由は単純。名古屋在住の彼女が乗った長距離バスが、早朝に新宿に到着したのだ。

意外な一面を発見
日本平でのエスパルス戦にラッキーな誤審っぽい判定で勝利した。その帰り、「I」さんと「Y」さんは新幹線の座席が審判団と一緒になった。見ると、その主審のX氏はビールを飲んでいた、つまみは「じゃがりこサラダ味」だった。新幹線を降りるときに「Y」さんは「またよろしくお願いします。」と声をかけて別れた。

納得してもらった
1994年のことだったと思う。当時は米不足とゼネコン汚職が社会を賑わせていた。特にカシマスタジアムの電光掲示板設置は茨城県知事の利権発注の注目になっていた。当時、太鼓を叩いていた「I」さん(湘南超人)や「N」さんは、こういうネタが大好き。数試合前から仕込んで、カシマ遠征のメンバーは皆で歌を覚えていた。スタジアム全体を揺らす「鹿島アントラーズ奇跡を起こせ!」の歌声が途切れたときにマリーシアを中心にするゴール裏のサポーター(ほぼ全員)から大声で真面目顔で、その歌が歌われた。「ゼネコン、ゼネコン、ゼネコン〜お〜しょ〜く〜。ハザマの賄賂で私服を肥やせ〜!」。あまりに真剣に歌う姿と真実の歌詞に、周辺の鹿島住人からも、どっと笑いがおき、後に赤いエリアは沈黙となり歌声だけが響いた。

ショックだった
東京ガスとのナビスコカップH&Aの緒戦は新横でまさかの敗北。決着は第二戦、江戸川区陸上競技場で付けられることになった。メインスタンドのベンチ裏最前列に陣取ったマリーシアのコアメンバーは声がかれるほどの声援をしたが、試合は2試合トータルで敗退が決定した。あまりのショックに「I」さんは日産応援うちわを、「K林」さんはオートバイ運転のグローブを席に忘れて帰宅しかけた。

理由
アジアカップウイナーズ1992-1993の準決勝だったと思う。年末だった。国立競技場にやってきた「N」くんは、なぜか掃除道具を持っていた。職場の大掃除の途中で抜け出してきてしまったからだ。

救われなかった
等々力陸上競技場の2階バックスタンドが建設中、ゴール裏2階は、まだ着工もされていたかった頃の試合だ。ちょうど、その日は24時間テレビの中で生中継が行われることになっていた。当時のヴェルディ川崎戦は高視聴率番組だったからだ。試合が始まると、もの凄い豪雨になった。頭上には雷光が走り、目も開けていられないほどの雨量の中で試合が進められた。ピカピカゴロゴロいう天候は収まらず、試合は中断した。遠くメインスタンドに響く「安全な場所に避難して試合開始をお待ちください。」というアナウンス。びっしりと埋まったゴール裏には屋根もなく逃げる場所もなかった。スタンドの裏にあるトイレのプレハブにギュウギュウ詰めになるほど女性は逃げ込んだ。申し訳程度にスタンド(といっても今の1階席)から裏のスペースに行く人も多かった。本来ならば試合は中止でも良いはず。雨は止まず、頭上は光り続ける。そんな中、ゴール裏スタンドの最上段から歓声があがる。トランペットの音も聞こえる。見れば「T」さん(広島超人)、「I」さん(名古屋超人)、「I」さん(湘南超人)らがトランペットの前で横断幕を広げて気勢を上げている。幕には「●●自決、●●同罪」と書かれていた。審判の判定批判(しかも数試合前の)だった。その時、閃光とともに大轟音が耳を劈いた。彼らの頭上の照明灯に設置された避雷針に落雷したのだ。悲鳴とともに命がけのパフォーマンスは終わった。

幻の会長
マリーシア会長の「U」さんはワールドカップ19試合を観戦した。年間の観戦試合も100試合を越えるサッカー狂だ。だが木村、水沼の引退とともに「U」さんはマリノスゴール裏から姿を消した。1990年代後半からマリーシアのメンバーは「U」さんの姿を国内では見ていない。典型的な例はシドニー五輪だ。現地の街中で偶然に「U」さん+代表応援で有名な160試合観戦の男「K」さんが「K林」さんと「M」さんとに遭遇した。その時の「U」さんの第一声は「チケット余っちゃったんだけど買う人いるかな?」。そんなのめったにいないって!!2002年ワールドカップでは唯一「T」さんが「U」さんに遭遇した。だが、場所はカシマスタジアムだった。

遅刻早退
マリーシアで出会ったカップル、ベーシストの「K」さんと「T」さんが結婚式を挙げることになった。披露宴の予約はかなり前からだったので、残念ながら三ツ沢でのベルマーレ戦に重なってしまった。披露宴で新郎新婦入場の扉が開いてライトがあたったとき、遅刻してきた「K林」さんが、そこから入ってきた。見事な入場だった。披露宴が始まると、「K林」さんの様子がおかしい。我慢しきれないといった表情で席を立ってベーシストの「K」さんのところへ行った。「あのよぉ、どうしても中田が気になるから、ゴメン、オレ行くわ。」そう言い残して「K林」さんは早退した。しかし、その日、中田は負傷欠場だった。

何処かで逢った
「S」さん(超人)は1993年の代表対ユベントスの試合を見るために神戸ユニバに向かうバスに乗っていた。すると、隣の人から「あなたと、以前に何処かでお会いしましたね。」と話しかけられた。だが、どうしても思い出せない。すると、その人は言った。「あぁ、マレーシアでお会いしましたね。思い出しました。」マレーシアというのはバルセロナ五輪予選のことだった。

贔屓の秘密
1990年代末の話だ。とある民放の朝の天気番組では、なぜかJリーグの、しかもマリノスの話題が多かった。理由は「M」さんがディレクターで原稿を書いていたからだ。その番組のお天気お姉さんはフランスワールドカップ予選アウエー韓国戦にマリーシアメンバーらと一緒に応援に行った。所属事務所には内緒の行動だった。



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