みんなで創ったマリノス・サポーターの歴史
Jリーグ、もう一つの歴史「サポーター史」
私たちは、どのような足跡を残し続けてきたのか。
あとから振り返れば笑えるような出来事も 、その当時は真剣であったり、今では考えられないくらい素直に楽しんでいたりと、人それぞれの捉え方も色々です。 これは、私達の記憶を年表に留めようというものです。こんなこともあった、あんなこともあった。皆さんの記憶に残っている出来事をfacebookにお寄せください。これから続々書き加えていきます。
1962年 日本サッカー狂会創設
池原氏、東条氏に「サッカー和尚」鈴木氏を加えてスタート。日本サッカー史上初の応援組織が発足した。
1977年 日本サッカー後援会創設
日本サッカーの精神的支柱と普及強化活動の経費の支援をの役割を担う応援組織。法人会員と個人会員を募り現在に至る。
1979年 ニッポン、チャチャチャの定着
日本開催の第2回ワールドユース大会で日本応援の基本コールとして定着する。
1983年 初の天皇杯決勝応援
ヤンマーとの決勝戦に日産自動車応援団が詰めかける。 以後、決勝戦では、男性応援リーダー、チアガールがバックスタンドに陣取るようになる。そのスタイルはマリノスとなるまで続いた。 応援歌はカセットテープでメロディーを再生し、ぼんぼんを持ったチアガールの歌声にあわせて歌う。 試合終了10分前くらいから男性リーダーによって数100本の紙テープが応援席周辺のちびっ子ファンに配布された。なお、1983年の決勝戦ではヤンマー(現C大阪)応援席にはヤン坊マー坊がいた。
1985年 幻の国立満員
天皇杯2度目の決勝進出。反対側ブロックは準決勝でトヨタ(現名古屋)がフジタ(現湘南)に敗退したため国立満員は幻になる。トヨタが決勝の相手の場合は首都圏の日産社員は総動員される予定であった。
1985年 伝説の10.25日韓戦
日本サッカーを支える会により日の丸小旗が配布された。
1989年 国立大乱闘
ワールドカップイタリア大会予選、日本-北朝鮮戦で乱闘。両国サポーターが隔離されていなかったため衝突。機動隊が入って騒ぎを収める。
1990年〜1991年 横山辞めろ運動
成績不振にあえぐ日本代表の監督人事刷新をサポーターが要求。全国で署名活動を展開した。一般新聞でもとりあげられ大問題となった。日本サッカー後援会会員は大量脱退し後援会会費の納金を拒否。
1992年 マリーシア発足
80年代後半からサンバ隊による応援を行っていた読売クラブに対抗するために初の私設応援団としてマリーシアが天皇杯決勝読売戦を機に発足。日本リーグ最後の年に初めて組織的な活動を行った。以後、日産自動車サッカー部はプロ化により日本リーグ終了をもって日産自動車応援団はスタンドから姿を消す。
●Jリーグカップ開幕によりプロ興業が開始される。アウエー連敗を経てホーム緒戦の名古屋戦(平塚競技場)で応援コールが「ニッサン」から「マリノス」に代わる。
●マリーシアコアメンバーが応援コールし他のサポーターがチアホーンを吹くのが基本スタイル。
●オフィシャル「マリノスクラブ」募集開始。
●「カテゴリーワン」で購入したオフィシャルアパレルアイテムを身につけフェイスペイントするのが典型的なサポーター像。1994年上期まで、このスタイルが続いた。
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●このころから「サポーター」という呼び方が一般的に使われ始める。
●広島アジアカップに全国からサポーター大集結。植田朝日氏を中心にウルトラ・ニッポンがスタート。 当時はバックスタンド中央に陣取った。
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●アジア・カップウイナーズ・カップ決勝、国立競技場で6000人のピルズィ(イラン)サポーターと遭遇。
●5.15J開幕は東京体育館前で集結し国立へ入場。全民放が取材する異常事態に警察も出動。
●三ッ沢球技場改装こけら落としからゴール裏で応援するスタイルが始まる。
●ホーム開幕戦で、サポーターズクラブ「リベラル」発足。サポーターズクラブ「シーガル」が本格活動開始。
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●ワールドカップアメリカ大会予選一次予選。UAEへのツアーなど観戦ツアーが一般に認知される。ホームの国立は連戦満員。ウルトラスは、この大会まではバックスタンド。
●週刊SPAが開幕を前に2月に「過熱するブームの実態を探る、Jリーグ族の謎」特集。
●大ブームに乗って連日超満員のスタンド。チケット入手は困難を究めた。
●一般紙誌もJリーグ、サポーターの特集を盛んに組んだ。
●TokyoWalker増刊号「これがJリーグだ!」では サポーターズクラブ紹介特集も実施。
紹介されたサポータークラブ
バルバドス(読売)
※サポータークラブではなくサンバ隊
マリーシア(横浜)
横浜ジェッツ(横浜F)
※オフィシャル
IN FIGHT(鹿島)
ハレルヤクラブ(市原)
レッド・ボンバーズ(浦和)
●有名サポーターに追っかけが出現。試合後には記念撮影の列が出来た。
●オフィシャルサポーターと私設サポーターの対立やサンバ隊と歌声・コールの応援が相反するなど、各クラブとも今のサポータースタイルへの移行が徐々に行われる。
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1993年後半/Jリーグにも迫りつつあったドーハの衝撃
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●横浜白札屋がたまり場になる。
●初の監督解任要求「清水辞めろ」が新聞をにぎわす。成績不振へのブーイングや試合前の応援拒絶などが論争に。
●ゴール裏とバックスタンドの掛け合いコールなど実施。
●サポート路線の論争から各クラブの脱退者も発生。一部は新クラブを旗揚げへ。
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●ドーハの悲劇。
●ウルトラスが最も突出していた頃。ウルトラス系と狂会系が別れて応援していた。
●Jリーグオフィシャルレストラン「J・CLUB」でのテレビ観戦応援が満員に。
●電話リダイヤルシステムなどチケット購入のための秘密兵器がブームに。
●チアホーン応援禁止へ。
●ニコスカードCMに各チームのサポーター出演。スタジアム応援風景撮影と黒澤フィルムスタジオ撮影を実施。各チームのサポーターが一堂に会してのCM撮影はこれが最初で最後。
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●サポーター対立が激化。後半戦はゴール裏が分裂応援に突入。クラブフロントと伊勢佐木町による調整が頻繁に行われるが、結局はスポンサーである伊勢佐木町の支持を受けたクラブが主導権を握ることになる。この状態は1995年まで続く。
活動していた主なサポータークラブ
エレクション
シーガル
マリーシア
リベラル
デュオデッシモ
キングシャウト
広島私設応援団
ナスティーボーイズ
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●ボンボネーラ開店。
●紆余曲折の後、ウルトラスは国立では12番ゲート付近に陣取る。
●カズのジェノア移籍によりイタリア観戦ツアーがブームに。
●ワールドカップアメリカ大会会場内で2002年日本招致のゲリラ招致活動実施。
●ドーハ帰りのサポーターが過激化先鋭化しスタジアムが荒れる。楽しい応援よりも激しい応援に主流が傾き闘いが強要されもっとも暗く重苦しいスタジアムの時代となった。
●TokyoWalker増刊号「1994Jリーグブック」でサポーターズクラブ紹介特集を実施。
紹介されたサポータークラブ
IN FIGHT(鹿島)
ハレルヤ(市原)
CRAZY CALLS(浦和)
カミーザ・ドーゼ(読売)
※オフィシャル
マリーシア(横浜)
横浜JETS(横浜F)
※オフィシャル
THETIS 湘南(平塚)
シャペウ ラランジャ(清水)
PROGRESSO(磐田)
サポーターズ アソシエイツ(名古屋)
GAMBINO(大阪)
VIOLA(広島)
●各地でJリーグ入りを望む自治体で招致運動や下部リーグチームのサポート活動が始まる。
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●横浜市教育委員会による横浜闘魂倶楽部発足。
●マリーシア方向転換。最前列からの完全撤退を宣言。ハマスポ創刊。オリジナルマフラー制作。
●サポーターズクラブの解体とフリー宣言がブームに。「海賊」の旗の下に集結し始める。アルゼンチン主義の台頭。
●木村和司引退試合でサポータークラブ共同作業によりスタンドに人文字。
●等々力にサポーター3名が乱入し警察に身柄拘束。以後、シーズン終了まで入場自粛。
●若い女性サポーターと家族連れが減少。
●リーグ優勝。サポーターのボランティア参加で優勝祝賀イベントファン感謝デーを運営。
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●代表の国内外の試合会場でワールドカップ招致キャンペーン。
●サポティスタ配布開始。
●FIFAワールドカップ調査団視察試合になる国立の鹿島-C大阪戦に各チームサポーターが集合。招致パフォーマンスを展開。
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●勝利至上主義のゴール裏中央に対してゴール裏上段や左右は試合内容重視や選手キャラクター重視に自然にすみ分けが始まる。
●川口の活躍、城の加入により若い女性サポーターが再び増加。
●ダービーマッチでコイン投げ事件。大嶽の顔面にコインが当たり試合中断となる。犯人はサポーター内では特定されていたが、 結局、公式には見つからないままに事件は終結した。(犯人は当初は自ら認めていたが、後日、否定した)
●マリーシアのStop The Violenceキャンペーン始まる。
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●アトランタ五輪予選でマレーシア・シャーラムへサポーター大量動員。
●五輪にも多くのサポーターが詰めかける。
●ワールドカップ招致へ署名活動e-mail活動が最後の追い込み。窓口はmalicia webのキャンペーンページ。テレビラジオの報道支援もあって数千のメールがFIFAへ送られる。
●アジアスーパーカップで日韓両国が握手する横段幕を平塚サポーターが掲出する。
●鳥栖フューチャーズ存続運動。
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●オフィシャル・サポーターズ発足。
ULTRA`KING SHOUT
Duodecimo
まりちゃんず
マリーシア
井原正巳後援会
日産FC横浜マリノス広島私設応援団
などが登録。
エレクション、SEA GULLなども後に登録するが
「海賊」は最後まで登録することはなかった。
●横浜商工会議所を中心にしたマリノス支援の会が発足。
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●ワールドカップ予選に結集。アジア各国へ足を運んだ。
●韓日戦に約10000人の大サポーター。
●ジョホールバルは日本サポーターでほぼ満員に。
●ヴェルファーレや新宿歌舞伎町など大画面テレビ観戦が大ブーム。J-NETブームによりサポーターのネット活用が盛んに。
●日本での日韓親善試合と韓国でワールドカップ予選で日韓サポーターの交流が始まる。
●清水エスパルスの存続カンパ・署名運動。
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●横浜フリューゲルスとの合併問題で合併撤回運動を海賊を中心とする一部サポーターが展開。具体的目標と成果が不明確なまま大規模活動は収束へ。
●新横浜の1階を立ち上がっての応援2階を座っての観戦応援へと自然にすみ分け。
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●フランスへ数万人が観戦ツアー。チケット問題が発生し、世界的な社会問題となる。
●ダイナスティカップで来日する韓国サポーター「レッドデビルズ」の歓迎パーティー開催。
●消滅するフリューゲルスサポーターの合併撤回運動。署名やカンパを集め全国規模でムーブメントに。結果的に元サポーターの出資により横浜FCが誕生へ。
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●自称「マリノスサポーター」と自称「Fマリノスサポーター」の対立が発生。
●フリューゲルスを吸収合併しFマリノス誕生にともない自称「マリノスサポーター」派の「海賊」が消滅。
●「マリノスとスポーツ文化を守るサポーターの会」を称するグループ(実質的には「海賊」)の行為をマリノス側が非スポーツ的、かつ非支援活動であると断定し公式の接触を終了。
●「クラブとしての“応援活動”への認識」をクラブフロントが発表。
●運営評議会を設置。
●シンヨコの満員を目指す横浜70,000人プロジェクトがスタート。平均約40,000人の集客の結果を残す。
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●ワールドユース大会準優勝するも伝染病の恐怖もあってだれも応援に行けず。
●経営危機の平塚の試合運営にサポーターボランティア大量参加。
●インファイト団長河津了が鹿島市長選挙当選。その後も、インファイトを支援団体とする選挙候補者が現れる。
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●シドニー五輪で1試合当たり5,000人〜10,000人の応援。フランスワールドカップツアー中止のお金を回して観戦する人多数。
●シドニー五輪の中継を横浜国際競技場でテレビ観戦。初戦4,000人から最大20,000人までの大観衆を集める。
●ワールドカップのチケット割り当て拡大を求めた「半券運動」を実施。主催者側の意見分裂もあり混乱のうちに終了。ファン・サポーター枠は一般枠を割いて設定されることになる。
●日韓サポーター友好フットサル大会を江東区で開催。
●上位進出に伴い福岡の観客動員が拡大。
●二部で苦戦する浦和のサポーターが事件を頻発。勝ち点はく奪の検討もされる。
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●ホーム最終節で快勝を願って「盛り塩」実施。バックスタンド、ゴール裏スタンドの全ゲートに塩を盛る。ベンチにも盛られた。
●残留をかけた最終節、神戸へ約1000名のサポーターが遠征。
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●サポーター出身者多数がtoto雑誌ライターデビュー。
●ゲート旗ブーム。
●新潟、仙台などJ2クラブの観客が飛躍的に伸長。
●柏の葉ホームスタジアム移転問題で柏サポーターの署名運動。甲府の存続のためにサポータークラブ大量申し込み。鳥栖経営危機にサポーターの存続運動JFLでもFC.KYOKENの存続運動。
●横浜FCが支援方法を巡ってソシオと対立。ソシオとクラブでのトラブルは法廷へ。クラブ側はソシオの解散を宣言。
●ワールドカップ新設スタジアムの本番予行演習を兼ねた厳しい警備が始まる。札幌ドームでは入場を巡るトラブルで警察が身柄拘束。
●暴力事件で入場禁止処分を受けるサポーターが続出。
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●横浜特攻隊が出現。
●オフィシャルwebで左伴社長からのメッセージを掲載。
●観客動員24,000人(平均)を超え、全クラブで第二位。
●マリノス30周年&マリーシア10周年を記念してオリジナルマフラーを制作。
●男女別パートの応援歌が出現。
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●ワールドカップの熱狂に日本全土が包まれる。一億総サポーター化。ワールドスポーツカフェでは期間中は日本敗退まで24時間営業。チュニジア戦後は多数の若者が道頓堀に飛び込む。国立競技場のパブリックビューイングは有料にも関わらず札止め満員。
●チケット販売方法を巡るトラブルで逮捕者。
●URAWA POINT開店。
●浦和ゴール裏の東と西でトラブルが発生し暴力事件。
●二部落ちした福岡のウルトラ・オブリとノが対立。一時、ノは途中退団も示唆する発言。
●J連がアディダスの支援を受ける。
●日本サポーター協会の活動をNAKATA NETが支援。
●サポティスタと2ちゃんねるが火付け役になって「嫌韓ブーム」がネット上で広がる。一方で世間一般では韓国との親近感が醸成されアンジョンファンの人気上昇。
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●ウルトラの奥山氏が天皇杯(愛媛)での社長控え室乱闘事件などにより無期限入場禁止処分を受ける。
●ウルトラが「無期限Tシャツ」制作。
●シーガルがJ連におけるアディダスとの関係からビッグジャージを使用。
●2ちゃんねらーを中心にした漢っぽいサポーター集団「屋根下」が出現。アウエーツアーも主催する。「横浜ヘッズ」「新横浜ヘッズ」となりゴール裏グループの多数を占める。爆酒会、エムズ、旗振り隊などサポーター集団は継続して多数形成されるが、サポーターズミーティングで緩やかな連合体が作られる。
●庄やでの試合後の馬鹿騒ぎが話題に。ファーストステージ最終節で終結。
●トリコポントが移転。ビッグスクリーン設置のサロンを持つサポーター交流の場となる。
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●フロンターレゴール裏「Gスポット」の盛り上がりが話題に。試合後は岡山がトラメガを持ってゴール裏に向かって歌って煽るパフォーマンスが名物に。
●「ベッカム様」ブーム。
●女子ワールドカップ予選プレーオフで12,000人のサポーターが国立競技場に来場。
●福田の引退試合でCRAZY CALLSが1日だけの復活。
●エスパルス大応援団鼓動役員2名が寄付金横領。除名処分となる。
●新潟の観客動員がJリーグ記録更新。しかもJ2で。
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●ゴール裏より拳大のブロック片が投げ込まれる。場所と服装は特定できたが犯人が名乗りを上げることはなかった。
●ゴール裏中央でのトラブルが多発。
●主催者とクラブとのトラブルによりサポーターミーティングが活動停止。
●ウルトラが代替わりし活動を刷新。一時、活動を停止したサポーターミーティングは、ウルトラ主導で試合前に実施する集会として復活。
●最後のチャンピオンシップで特例として紙吹雪を許諾実施。
●A3、チャンピオンズリーグで初の大規模海外遠征。
●20歳代で亡くなった女性サポーターの追悼セレモニー、新潟中越地震の支援活動を実施。
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●インファイトが乱入し本田をゴールネットに追い詰めて袋叩きにする事件。犯人は入場禁止処分に。
●浦和サポーターのナビスコ、チャンピオンシップ、天皇杯決勝のチケット大量買い。天皇杯は準決勝で敗退したため、決勝戦に進出した読売、磐田サポーターはチケットが入手困難に。
●なでしこジャパンがブームに。五輪予選の北朝鮮戦では31,324人が来場。
●J連〜Jサポが消滅。次段階へ。
●「試合なんか見えなくて良い応援大好き派」が台頭。
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●フリーペーパー「ハマトラ」の制作開始。クラブの協力もありスタジアムおよびスポーツショップで配布。
●トリコロールバンドの制作、各種マフラー制作、Tシャツ制作などオリジナルグッズが多数作られる。
●中国の反日感情が高まる最悪のタイミングで行なわれたACLアウエーへの応援ツアー。フラッグ一枚もスタンドに持ち込めず、空港〜ホテル〜スタジアムのみ移動の厳戒態勢。
●ACLアウエーで奪われた横断幕を探しにサポーター2名がインドネシアに再渡航。
●サポーターミーティングやハマトラを通して多数のサポーターグループが連携してサポートを形成する。
ウルトラ ヘッズ シュトルツ BLUE CARD fever隊
旗振り隊 グランヴェ マリポーサ ポラール
M.O.I.S.T. SPREAD マリーシア
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●無観衆試合となったバンコク国立競技場でのワールドカップ予選。スタジアムに入れないと分っていながら駆けつけたサポーターがスタジアム外から応援。北朝鮮を破りワールドカップ出場を決める。
●東京ダービーで大型灰皿の蓋を投げた東京サポーターが逮捕。サポーター事件での起訴は初めて。
●多臓器同時移植手術が必要の女児のための募金活動を多くのクラブのサポーターが行なう。
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●有志で開始したトリコロールパラソルがマリノスサポーター名物として定着。オフィシャルグッズでも便乗して発売に。
●浦和戦でルールを無視して横断幕をホーム側に貼った浦和サポーターに対して場所を譲るようにクラブがサポーターに指示。また日産自動車の広告看板を覆うように設置した浦和サポーターの横断幕をクラブは試合途中まで撤去できず。この「浦和横断幕事件」を契機に、クラブとサポーターの間の関係が悪化。
●「ハマトラSNS」スタート。
●フリーペーパー「ハマトラ」休刊。
●フリーペーパー「ウイマリ』街頭配布スタート。
●バックスタンド2階席をクラブが政治団体に貸切提供。サポーターの通報によりスタンドの「政党のぼり」をクラブは撤去。抗議により政治団体は一部謝罪したが、クラブは事実関係を明かさずに終息。
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●ワールドカップで惨敗し、JFA川淵会長退任要求デモを千駄ヶ谷で実施。
●千葉サポーターが祖母井GMの契約延長を要求して署名活動を実施。
●柏サポーターの試合後のパフォーマンスが名物に。グランドで選手がゲートフラッグを掲げ一緒に歌って踊る。岡山選手のトラメガパフォーマンスと岡山選手をネタにしたゲートフラッグが大ブレーク。
●浦和レッズサポーターが最終節でクラブエンブレムを人文字ディスプレイ。
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●最後の横浜ダービーのステッカー&ポスター配布を実施。クラブとサポーターの協力でポスター配布数は約1200カ所。偽横浜との対立が激化。
●バックスタンド2階席で「チョイワル風船」を実施。風船を配布しゴール時に一斉に割って喜びを倍増へ。
●フリーペーパー「ハマトラ」復刊。
●マリノスタウンがグランドオープン。サテライトリーグの横浜ダービーはスタンド超満員に。
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●雑誌「J'S サッカー」がサポーター雑誌として人気に。
●柏のゴール裏が大人気。ついには寺から借りた龍も出現。
●浦和サポーターがアジア転戦。シドニーにも遠征。イランでは飛行機が欠航するトラブルも発生。
●書籍「日本サッカー狂会」発売。
●日本サッカー協会の犬飼専務理事が、フロンターレを「サポーターを裏切った」と批判。ベストメンバー規定には抵触をしなかったが、一部主力メンバーをアウエーで温存したため。フロンターレサポーターは「犬飼さん、我々は裏切られていません。」という横断幕を3000人の署名入りで掲出。
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●シーズン終盤にコーキチ論争。
●「ハマトラプレゼンツ 横浜サポーターズカンファレンス2008」を名画座である黄金町「ジャック&ベティ」で開催。キャパシティを越える超満員。
●「俺たちのF・マリノス」ナイキの支援により拡大展開。「みなとみらい清掃イベント」も実施。
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●雑誌「J'S サッカー」が休刊。
●代表の親善試合は完売しないことが当たり前に。
●仲裁裁判所提訴費用を集める「我那覇ちんすこう募金」を実施。
●鹿島サポーターが日立台サッカー場で柏レイソル選手をフラッグで叩く事件が発生。
●ナビスコカップ決勝戦を国立競技場で応援する大分サポーター1万人の大移動により航空券が完売。大分県サッカー協会会長は陸路で東京へ。
●日本サッカー協会・犬飼会長の「秋冬制構想」に反対するサポーターが5万4千筆の署名を提出。
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●横浜HEADSがスタジアム駅伝に参加。
●NPO法人ハマトラ・横浜フットボールネットワークが設立。
●NPOハマトラブースをトリコロールランドに設置。
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●大分サポータが新サポーター企業批判の横断幕掲出し入場禁止に。
●「本田△」がネットでブーム。
●太陽工務店「みや長(横山ミューレル)」が注目を集め、テレビ、新聞、雑誌に多数登場。スカパー!では専用カメラも。
●大分に新潟サポーターから千羽鶴が届く。
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●松田直樹の再契約要求嘆願書22,305名を集める。この運動を起点にシーズン終了後にサポーターカンファレンスを実施。
●サポーター活動の連絡手段にツイッターが活用され始める。
●各クラブが観客動員を減らす中でマリノス(と昇格クラブ)だけが大幅に観客を増やす。
●オフィシャルツアーの山形戦が季節外れの雪で大幅遅延。試合終了直後にスタジアムに到着。
●別冊バモバモコミックを発行。ゴル裏版、バクスタ版、二階席版の3タイプ。
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●ワールドカップ南アフリカ大会では、過去の大会と比較して現地応援するサポーターが大幅に減少する。
●ワールドカップ勝利の後は渋谷で大騒ぎが恒例に。岡田監督批判のお詫びもブームに。
●ブブゼラがブームに。
●松本山雅がJFLの観客動員記録を樹立。平均観客数5,079人。
●JFL松本と長野のライバル対決を追いかけたドキュメンタリー映画「クラシコ」を制作。
●浦和レッズはじめ各クラブが観客数減少。
●京都サポーター33人が入場禁止に。
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● NPO法人ハマトラがマリノスタウン物資集積活動を実施。
● NPO法人ハマトラが仙台市宮城野区への復興支援バス・ボランティアを実施。
● NPO法人ハマトラが仙台、山形のアウエーゲームに併せたアウェイゲームパッケージ・ボランティアバス活動を実施。
●NPO法人ハマトラが「復興支援リストバンド」を販売し収益を寄付。
● マリーシアがママこえと合同で仙台市内の保育園へ遊具を届ける。
● 松田直樹移籍を機に松本山雅サポーターとの交流が拡大。天皇杯での対戦では富山に両サポーターが大挙遠征。
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●サッカーファン・サポーターの震災復興支援活動"Football saves Japan"をはじめとするサポーターによる震災復興支援が多数誕生。
● 震災の影響で観客動員数が大幅に減少。
● 柏サポーター同士による傷害事件で罰金30万円の略式命令処分。2つのサポータークラブが無期限活動停止処分に。太陽工務店は解散。
● 磐田サポーターがイランの核開発に反対する横断幕を掲出し乱闘に。
● なでしこジャパンが女子ワールドカップ・ドイツ大会で優勝。欧州在住日本人を中心に応援。
● 女子ワールドカップ後にプレナスなでしこリーグの観客動員が飛躍的に上昇。新潟×INACでは24,546人を記録。
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