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サポ論

声の役割とは何か。
音量による効果測定からサポーターのあり方を考える 。

ゴール裏のコールや歌が、スタジアム全体の雰囲気を創りだしている。敵選手、敵サポーターは、音の圧力に平常心を揺さぶられる、と、そんな想いがスタンドでのサポーターのパフォーマンスのモチベーションとなっている。

一喜一憂の歓声はスタジアムを制圧する

興味深い数字がある。2005年にJ'GOALが調べたサポーターボイス測定(第13節から第18節まで各節3試合で測定)によるスタジアム内の音量だ。この測定で歌やコールらしきゴール裏パフォーマンスの音量が大歓声として記録されたのは2つしかない。

[15節 鹿島VS川崎 60-75分 85.6db]
膠着状態の中、鹿島サポーターの大声援

[18節 清水VS浦和 75-90分 103.3db]
試合終了!1-0浦和が勝利!アウェイへ駆けつけたレッズサポーターの歓喜!

それ以外は、すべて、ゴール前での攻防によって起きた歓声が大歓声として記録されている。主なものを挙げてみると

[17節 新潟VS名古屋 60-75分 109.5db]
エジミウソン(新潟)の突破から、鈴木慎吾(新潟)、ゴール!!と思いきやオフサイド

[18節 名古屋VS磐田 15-30分 108.8db]
藤田(名古屋)のロングパスを受けた中村(名古屋)がDFを一人交わして豪快にゴール!

[18節 G大阪VSC大阪 30-45分 108.6db]
アラウージョ(G大阪)がC大阪DF陣3人を抜き去り、左足で豪快にゴール!

ある程度は予想できた結果だったかもしれない。だが、サポーター流の言い古された言葉で表現すれば「声は俺たちの武器」。その武器が、試合の流れに合わせたもの以外では存在感を示していない、ということをデータで示されてしまう。つまり、「声が試合の流れを変えたのではなく、試合の流れが音量を変えている」のだ。これは、ゴール裏のコアサポーター達にとっては、ちょっとショッキングな結果だったのではないだろうか。

声の役割とは?

「声が武器である」ということを前提にすれば、このデータを見る限り、ゴール裏だけでの声よりもスタジアム全体を包む声のほうが、圧倒的に大きな力となることがわかる。ホームアドバンテージを創りだすためには、スタジアム全体が一気にパワーを放出することが重要といえる。となると、ゴール裏のコアサポーター達の声の役割は何なのだろうか。

応援のメリハリの正体からわかる応援先進国のスタイル

ここで、私の経験談を紹介させてほしい。数度のイタリアでの観戦のことである。初めてイタリアで観戦したローマでの強烈な印象は、スタンドの応援のメリハリだった。それは、その後に訪れた、ボローニャ、ペルージャ、ミラノ、ローマ(ラツィオホーム)でも変わらない。そのメリハリの正体は何か、それを物語る、一つの経験だ。

テレビを見ていると勘違いしやすいのだが、イタリアのゴール裏は、全てが総立ち、全ての時間で歌って跳ねっぱなし、というわけではない。チームによっては、立って応援しているのはゴール裏中央部の一部分のサポーターだけ、ということもある。(ずっと爆発物を投げっぱなしというスタジアムもあるが。)最初に見たローマのゴール裏を例としてあげると、試合の最初から最後までを歌いっぱなし、というサポーターは20名程度しかなかった。他のサポーター達は、勝手気ままに応援してる。自分の考えで、歌う時と歌わないときは決められている。歌う時間が長いのは20名程度のコアサポーターと近い席。外に離れると、歌う時間が短いサポーターが増える。バックスタンド、メインスタンドになると、ほとんど歌うサポーターはおらず、わずかに数回だけスタジアム全員が大合唱する時間が発生する。「ここぞ」という試合の時間帯になると声援の音量が数段アップする。つまり、メリハリの多くは、歌う人の人数によって付けられている。これは、各スタジアムとも、ほぼ同じである。

ということは、「試合を見ること」がとても大切だということになる。共通の意識を持ってゲームの流れに反応する自然体の観戦スタイル(ゴール裏のコアサポーターエリア以外、スタジアムの大半の観客のスタイルはこれだ)が、じつは、最も大きな声のパワーを瞬間的に生み出すことになるからだ。

なぜゴール裏の応援が必要となるのか?

さて、となると、ゴール裏のコアサポーター達は、試合が見えにくいゴール裏スタンドで、なぜ歌い続けるのか。メインスタンドやバックスタンドの観客達は、ゴール裏のコアサポーター達に何を望んでいるのか。ゴール裏のコアサポーター達の声の役割は何なのだろうか。

テレビでサッカーを見るときに、音を消すと魅力が半減する。生の観戦でも同様で、同じレベルの試合であっても、そこに応援歌やコールが存在するのかしないのか、その違いによって、見る者の心理に大きな影響を及ぼす。人はサッカーをフィールドの上の技術や体力だけと捉えているわけではないのがよくわかる。スタンド風景や音も含めてサッカーとして捉えられているのだ。

スポーツにおける最強のサポーターは何か?その答えはサッカー場にはない。それは運動会にある。小学校の運動会で応援する母親こそが、最強のサポーターであり、応援の原点である。彼女達は、応援する我が子のために声を枯らす。早朝から応援に有利な場所取りをする。我が子が身の危険にさらされたり、不正なルールによって尊厳を奪われる危機に陥れば、彼女達は、威嚇的や暴力的な行為に出ることすらある。そのテンションこそが、最強のサポーターが発生するパワーである。

では、サッカー場に場面を移して想像してほしい、(実際にはあり得ないが)選手11名の母親だけが5000人集結したゴール裏スタンドを。おそらく彼女達が応援の技術やしきたりを極めて洗練された応援スタイルで歌ったり、跳ねたりすることはない。だが、想像するだけでも恐ろしいパワーとオーラがゴール裏スタンドから発せられていることだろう。彼女達には、我が子が「他人の子に負けないこと」「他人の子によって身の危険にさらされないこと」という共通の意識が染み付いている。

ゴール裏のコアサポーターは、常にわかりやすい単語の歌を歌い、選手を鼓舞するコールを発し、勝つために跳ねる。それは、スタジアム全体に、一つの共通の意識付けを行なう。「このクラブが好きだ」「この試合に勝ちたい」「あいつには負けられない」。もし、そのような意識が希薄な観客が来場したとしても、それらゴール裏のコアサポーターが提供し続ける意識付けと、フィールドの選手達が展開する試合がシンクロしてくれば、自然と歓声や声援(ときには良質な野次)が出しやすくなる。

歌い続けるゴール裏のコアサポーターと、試合の流れに合わせて大音量を発生させるサポーターと観客達によって、ホームスタジアムの圧力=「アウエーの洗礼」は完成する。1980年代までの危険な立ち見の環境が消え、着席観戦が基本となったイングランドにおいてもホームの優位性は受け継がれている。歌い続けること、飛び跳ねること、とは縁遠いスタンドであるにもかかわらずだ。それは、そのような表面的なサポートスタイル程度では揺るがされることがないほど、共通の意識付けが人々の心の隅々にまで浸透しているからだ。(その基本はサッカーの素晴らしさに対する考えや、男らしさを求める国民性、などによる。)。

「サポーターの目指すところ」は何か?

「サポーターの目指すところ」を巡っては、サポートスタイル、技術による論争が長くゴール裏サポーターの中で行なわれてきている。しかし、じつは、論争が噛み合っていないことが往々にしてある。まず、サポーターの本質を客観的に捉えることで、ベーシックな意識を共通とすれば、相容れないように見える細かな見解の相違も、一致させるための結論は簡単に見えて来る場合がある。

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題字:書道家うどよしさんに書いていただきました。