malicia witness WM2006惨敗記
8_僕たちの日本代表。

フランクフルトで過ごした日々とは違って、デュッセルドルフに来てからは、気温がグンと下がった。夕立(といっても夕方のようで20時頃だったりするが)が毎日襲来し、更に気温を下げる。決戦を前に、デュッセルドルフの街を歩くことにする。土産を買い、長袖のシャツを買い足す。そして街の人々に伝えることがある。

何件かあるデュッセルドルフの百貨店にはワールドカップグッズコーナーがある。一次リーグで帰国する人たちが、土産を買う列を作る。その中に、まったく売れていない山積みの帽子を発見。日の丸に「7」、そして「周年」と書いてあるアンブロの正規品だ。おそらく、中田英寿の気迫溢れるプレー「執念」を表現したかったのだろうが、文字を間違えている。半額以下の値札を付けて、売り場の隅に、ひっそりと置かれていた。

買い物へ行く際も、ブルーのシャツを着込み、背中には日本サッカー後援会のエンブレムが入ったバッグ。その口には、ワールドカップがはみ出している。今日の試合開始は21時。この街からドルトムントまでは1時間弱。だから、日本人とブラジル人の姿が多い(もちろんメキシコ人は、どこにでもいる)。買い物をしても、食事をしても、近くには必ずブラジル人がいる。その度に「3−0で勝つよ。」と言う。ブラジル人は、当然、何の冗談だ、と笑っている。日本人とすれ違えば「3−0だよ。」と声をかける。今日の挨拶は、「こんにちは」でも「おはよう」でもなく「3−0だよ。」それだけだ。私たちは、ワールドカップを獲得する権利を、まだ保持している。そして、歴史に残る大番狂わせを演じる舞台は整っている。

アウトバーンをクルマは走り、一路ドルトムントへ向かう。通常であれば1時間以内でスタジアムへ着くのだそうだが、ドイツも日本と同様に夕方の渋滞は激しい。そのためにデュッセルドルフの市街から、なかなか出ることが出来ない。やっとアウトバーンに出るが、何度か渋滞に捕まる。予定されていなかった休憩も交えて、やっとドルトムントに到着する。

欧州でも有数の巨大サッカー専用スタジアム。その勇姿は、クルマを降りてもなかなか見えて来ない。すでに、スタジアム周辺は黄色と青でごった返している。驚いたことに、スタジアムの、すぐ目の前に駅があり、とどまることのない勢いで両国のサポーターが押し寄せてくる。ブラジル人達の多くは楽器を打ち鳴らして歌っている。決戦でありながら、楽しい祭りのようなムードに心が踊る。いや、祭りなのだ。

時は戻ってスタジアムへ向かう4時間ほど前のこと。デュッセルドルフ旧市街の土産物店で、噂に聞いていた「呪いの人形」を買った。人形には、各国のミニ国旗が付いていて、呪いたい国の選手の不幸を願って5本の針を刺すことが出来る。パッケージには「おもちゃではない」と書いてある。迷わず買った。ホテルの部屋に戻り、ブラジル国旗もろとも胸に針を突き刺した。膝を足首を何度も突き刺した。次はオーストラリア、さらにはクロアチア。「おもちゃではない」のだから、これで万全だ。3−0で勝てる。そう思って、集合時間まで、テレビを見ながら一休みした。

時は進んで帰国後。テレビでは、日本がブラジルと闘ったのと同じ舞台・ドルトムントでのブラジルーガーナを中継していた。ガーナは日本と同じ3点差でブラジルに敗れる。日本は1度だけながらばゴールネットを揺らした。しかし、ガーナは一度も歓喜のゴールを挙げることが出来なかった。結果は0−3だ。それでも、スタジアムを訪れたドイツ人達はガーナを応援した。テレビで見ていても、ドイツ人達が、最後までガーナのプレーを後押ししているのがわかった。帰国して、もう、何日も経つのに、気持ちは晴れずにいた。この中継を見て、もっと気持ちはブルーになった。明らかに、ガーナはドイツ人の心を動かした。だが、サムライブルーはドイツ人の心を動かすことは出来なかった。一瞬、微かに揺らしただけだったのだ。

ドイツ人は、開催国の国民としてワールドカップを楽しんでいる。だから、ドイツ以外の対戦ゲームにも、高価なチケットを入手して、対戦国のユニフォームなどで着飾ってスタジアムへやってくる。その中でもブラジル人気は最も高く、ブラジル絡みのチケット競争率はとても高かった。しかし、スタジアムへ来てみると、日本のブルーに着飾ったドイツ人達も沢山いることに気が付く。ニュレンベルクの小さなスタジアムとは違い、スタンドにはドイツ人が多い(もちろん、圧倒的にカナリア色の人々が多くスタンドを彩っている)。試合前の練習がピッチで行なわれているときに、2階席からドイツの応援歌が始まった。しかし、それは、それほど大きく拡散することはなく、試合前のちょっとした出来事で終わっていた。

試合が始まり、ブラジルのパス回しが始まる。テレビで見るよりもブラジル代表は大きく見える。ところが、これまでに見たことがない玉田の見事な斜めの飛び出しに、パス、これしかないタイミングで入り、ズバリと打ち抜いたシュートがネットを揺らした。思わぬ早い時間の先制に飛び跳ねて絶叫する。隣の大柄なドイツ人にぶつかって跳ね返り、隣の日本人と抱き合う。近くの青い服を着たドイツ人女性と握手をしたかもしれない。それまで、ブラジルに声援をおくっていた斜め前のドイツ人から握手を求められた。

このゴールでドイツ人達は味方に付いたようだ。スタンドのニッポンコールが大音響でこだまするようになる。日本人だけでなく、ドイツ人達までもがニッポン!ニッポン!と叫んでいる。興奮からさめてフィールドに向かって叫ぶ。
「行け!一気に行け!あと2点だ!!」
私たちには3点差が必要だ。まだ、その1点目を獲っただけに過ぎない。

このゲームを決めてしまったプレー。なぜロナウジーニョはフリーに、なぜシシーニョはフリーに。それほど、ブラジルの中央の圧力に怯えていたのだろうか。右サイドを上がってくるカナリア色の姿を発見したとき「マズい!!」と叫んだ。それでも、アレックスは中沢と一緒にロナウドにへばりついていた。ボールは、常識通りにフリーのサイドアタッカーに渡され、折り返し。あの場所にクロスが入れば、ロナウドはディフェンダーの視界から消えてフリーでヘッドを当てるだけだ。中沢は競ることすら出来なかった。怯えによる失点だった。直後に前半が終了し、隣のドイツ人は言った。
「良い試合じゃないか。」
だが、私は、小さな声で応えるしかない心境だった。
「私たちには、あと3点が必要だ。」

後半が始まると、しばらくて、目の前で中田浩二がアップを早めているのがわかる。やむを得ずアレックスを交代して守備の安定を図ってから3得点を狙いにいくのだろうか、と考えているうちに失点した。同点のうちに投入するはずだった中田浩二は、1点のビハインドを背負ってからピッチに登場した。しかも、前線で攻撃の起点となるべき小笠原との交代だった。これまで、嫌いなジーコであっても、監督がジーコであり、ジーコジャパンの戦術で闘うことを理解して応援してきた私にとって、これは理解の限界を超えた交代だった。アレックスの裏を狙われることなんてわかっている。なのに、アレックスの裏をケアするために中田浩二を投入して攻撃枚数を減らすなんて、ジーコジャパンのサッカーではないはずだ(クロアチア戦では後半からは小笠原が盛んにアレックスの裏をケアしていたが、この試合では小笠原は、そこまでの守備が出来ていなかった)。
「こんなのあり得ないだろ。」
思わず声が出た(冷静に考えればアレックスを下げることは、そもそもあり得なかったのだが)。
中田が前に上がったといっても、攻撃の枚数が減った日本代表は、決定的なカタチを作ることが出来なかった。その意欲すらも、スタンドに伝わってくることは一度もなかった。そして3度のゴールは、いずれもブラジル。逆に必要だった3点差をつけられる。

ブラジルが1点をリードしたところで、この試合は終わっていた。誰よりも、スタンドのドイツ人達が、この試合に終止符を勝手に打った。彼らは、日本代表のサッカーに価値はないと判断した。勝ち負けの問題ではなく、価値の問題だ。彼らは、フィールドで展開される高価なチケットのゲームに興味を失ったのだ。日本代表が同点に追いつくどころか、何も日本らしいプレーで興味をかき立てることすらできないと考えた。だから、スタンドは、ドイツの応援歌、ジーク!という叫び、ウエーブといった、日本代表とは全く無関係なアトラクションでいっぱいになった。ブラジル人達は楽勝ムードにお祭り騒ぎだ。日本人の応援のテンションは下がっていく。でも、それらを全て打ち消すくらいに、存在感を示したのは、興味を失ったドイツ人達の行動だったのだ。私は、このドイツでの滞在の間に、ワールドカップは単に勝ち負けだけを競うモノではなく、自身が何者であるか、そのアイデンティティーを表現し合う場所であることを実感した。日本代表は日本人が何者であるかを、最低限、表現する権利と義務を持って、このドイツへやってきた。だが、中田と川口以外に、その意思を示せた者は3試合を通していなかった。私の観戦歴で、これほどまでに屈辱的で衝撃的な試合はかつてない。ここでは、誰も日本人に期待をしていないのだ。まだ、試合は終わっていないというのに、涙があふれてきた。こんな哀しいスタジアムにいながら、選手達は淡々とプレーをしている。何も表現をしないし挑戦することもない、ただ時間だけが経過していくプレーをしているのだ。この屈辱感を振り払うためには応援するしかない。声を張り上げる。だが、もはや、スタジアムの日本人が一体になるような場面は訪れなかった。私たちは、ジーコジャパンに殺されたのだ。

誰が何と言おうと、私たちは、この4年間で得たモノよりも、失ったモノの方が圧倒的に多かったことが、このドルトムントで証明されてしまった。数万円のチケット代金を支払いながら、フィールドへの興味を失わせてしまうサッカーが、今の日本代表の現実だ。そういう選手達が僕たちの日本代表なのだ。

最後まで死力を尽くした中田が置き去りにされ、選手達はワールドカップの舞台を去っていく。私たちは堪え難き屈辱感を背負ったままドルトムントをあとにする。クルマの中で会話はない。照明のない暗いアウトバーンをデュッセルドルフに向かって、ただ走っていく。「この4年間は何だったのだろう」と回想する。何も浮かび上がって来ない。ただ失われた4年間が幕を閉じたこと以外に、頭の中で思考できる余力がなかった。最低の思い入れで応援した日本代表の4年間が、今、終わったのだ。深夜に気が付いた両腕の蕁麻疹、風呂に入ると、両脚の脛には沢山の傷と赤く腫れた箇所があった。まだ、この時点で私の身体は、この惨敗の痛みを受け入れていない。惨敗よりも、もっと大きな衝撃を消化できずにいた。


あと2時間ほどで決勝戦が始まる。フランス、イタリア、どちらが勝っても、世界中の人々の心に刻み込まれる決勝戦になるだろう。僕たちの日本代表はワールドカップに参加したのだろうか、その記憶すらも危うくなりそうだ。帰国してからテレビで見たゲームの数々は、ドルトムントで目にした、あの惨劇とは同じ大会には見えないのだ。


日本代表はドイツの人々を何かを語りかけたのだろうか。いや、語りかけることすらできなかったのではないか。

next



緑に包まれた街並をトラムが走る。雨が心配される曇天。


ブランドショップが建ち並ぶケーニヒルアレー。割掘に沿って作られた並木道。


行列のできる店。


煮込んだ肉とポテト。あまり味がない。だが行列ができるのだから人気店だ。


ビジネスマンよ、君は独りじゃない。


ドイツのパン屋は、どこもディスプレイが大胆だ。


膝、足首、心臓などをめった刺し。


パッケージには、その効き目が説明されている。呪いの効き目が、まさか高原に現れるとは誤算だった。



同じホテル日航に宿泊しているブラジル人達との記念撮影。


厳しいチェックの持ち物検査。


サンバが鳴り響くスタジアム周辺。クロアチア戦とは、まったく違った雰囲気だ。


スポンサー様専用ラウンジのご案内。


試合前にちょっとしたカーニバル。


スタジアム入り直前に、石川ちゃんと久保田さんと再び遭遇。


日本マニアのお姉さん。


急斜面のコーナーに青い天国がある。


ドルトムントといえば、名物は反対側のゴール裏スタンド。絶壁のように最上段までそびえ立つ。


サッカー専用の巨大スタジアム。ここで歴史的大番狂わせを披露するはずだった。


ゲームキャプテンとして、最後までチームをまとめることが出来なかった中沢。もし万が一、松田が代表入りしていても、チームは一丸にはならなかったのだろう。それほど病巣は根深かったのだ。そして、選手だけでなく、私たちも、その当事者として責任を背負わなければならない。

confidential 秘密 message 伝言 photo&movies reference 参考 witness 目撃
scandal 醜聞 legend 伝説 classics 古典 index LINK